小林秀雄

マラルメランボオを語り、ランボオが詩にもヨオロッパにも別れを告げるところに来て、こんな事を言う。「ここに不思議な時期が来る。尤も、次の事を認めるなら、何も不思議ではないのだが。自分の方が間違っていたか、それとも夢の方に誤りがあったか、いずれにしても、夢を放棄して、生きながら詩(ポエジイ)に手術されるこの人間には、以後、遠い処、非常に遠い処にしか、新しい状態を見付ける事がかなわぬ事を。忘却が沙漠と海との空間を包む」。ここで、マラルメが使っている詩(ポエジイ)という言葉が、あれこれの詩的作品を意味するものではなく、凡そ文学というものが目指す、或る到達する事が出来ぬ極限の観念を意味すると考えてよいならば、マラルメもまた、生きながら、詩(ポエジイ)に手術された人間ではなかったであろうか。

ランボオⅢ」