青木薫

植物の活動に「知能」なんていう言葉を使うべきではないと考える人たちは、「動物は認知し、学習する。それに対して植物は順応する(長期的には適応する)だけである」と考えます。そして知能を持つためには、ニューロン(あるいは脳)が必要である、というのです。標語的に言えば、「ニューロン(脳)なくして知能なし」ですね。

 

それに対して、植物もまた「知能」をもつと考えた方が生産的だと考える人たちは、「ニューロン(脳)なくして知性なし」というのは、あからさまに「ニューロン(脳)中心主義」だよね? と考えます。

 

ひょっとしたらわれわれは、そうと意識しないままに、植物を見下げているのでは? 植物とは、過去のどこかの時点で進化の袋小路にはまり込んでしまった、「遅れた生き物」であり、「下等な生き物」だと思っているのでは? しかしそんな考えは間違いで、植物たちは動物とはまったく別の戦略をとりながら、みごとな進化を遂げているじゃないか、というのが「植物が知能もってもべつにいいじゃん?」派の生物学者たちの考えです。

 

たしかに、今日ニューロンレベルで脳を研究している人たちのなかには、意識なり知能なりは、「脳」なり「ニューロン」なりの専売特許というよりはむしろ、「複雑系創発的現象」だと捉えている人たちもいるように見えます。ニューロンのシステムは確かに複雑ですが、ともかくも複雑な系にすぎない。ほかにも複雑な系があってもいいのでは? そういうシステムが、記憶なり意識なり知能なりを生んでもいいのでは? なぜ、脳やニューロンだけが特別だといえるの? と。 

植物に知能はあるか ―― そもそも知能ってなに?

関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2013/12/31/204850