2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

埴谷雄高

――そこに曖昧なものなくして何らの断定も出来ないこと、ここにもまた悪徳がある。 ――宇宙の責任が追求されるとき、ひとは形而上学に或る意味を賦与し得るさ。 『不合理ゆえに吾信ず』

ラッセル

すべての不幸は、ある種の分裂あるいは統合の欠如に起因するのである。意識的な精神と無意識的な精神とをうまく調整できないとき、自我の中に分裂が生じる。自我と社会とが客観的な関心や愛情によって結合されていないとき、両者間の統合の欠如が生じる。幸…

下條信輔

「自分のことは自分が一番知っている。とりわけ自分の心の中のことは」。これは万人に共通する暗黙の了解事項であり、古典的信念とさえいえる考え方です。しかしこれと真っ向から対立する考え方を大胆にも提唱する社会心理学者たちがいることを、前回の講義…

池谷裕二

「ヒトは自分自身に無自覚であるという事実に無自覚である」とは、ヴァージニア大学のウィルソン博士*1の言葉です。私たちは自分の心がどう作動しているかを直接的に知ることはできません。ヒトは自分自身に対して他人なのです。こうした研究成果が明らかに…

内田樹

早期定年退職で割り増し退職金をもらって今すぐ辞めるのと、定年まで賃金五割カットとどっちがいい?」というような問いを突きつけられて困るというのは、「決断」でもなんでもない。それは「ではいよいよ死刑執行の時間となった。さて、君はワニに食べられ…

小林秀雄

フロオベルはモオパッサンに「世に一つとして同じ樹はない石はない」と教えた。これは、自然の無限に豊富な外貌を尊敬せよという事である。然しこの言葉はもう一つの真実を語っている。それは、世の中に、一つとして同じ「世に一つとして同じ樹はない石はな…

伊藤剛

この世に二人として同じ人間はおらず、人生の中で同じ状況は二度と訪れない。その意味では、同一性は表面的・近似的なものにすぎず、単なる「仮象」つまり見せかけである。しかしこの同一性は、対象の側に宿るのではなく、対象を把握しようとする思考それ自…

ランボー

俺は架空のオペラとなった。俺はすべての存在が、幸福の宿命を持っているのを見た。行為は生活ではない、一種の力を、言わば、ある衰耗をでっち上げる方法なのだ。道徳とは脳髄の衰弱だ。 「錯乱Ⅱ」/『地獄の季節』

渡辺政隆

パーカーの新説は、名付けて「光スイッチ説」。生物がそれ以前から太陽光の恩恵を受けていたことは冒頭で触れたとおりだが、生物が太陽光線を視覚信号として本格的に利用し始めたこと、すなわち本格的な「眼」を獲得したのはまさにカンブリア紀初頭のことで…

アンドリュー・パーカー

覚えておかねばならないのは、先カンブリア時代に、眼の獲得レースが開始の時を待っていたわけではないということである。進化は、そんなふうには起こらない。そういう、目的論的な見方は間違っている。そうではなく、ある日、ルールを変えてしまうような何…

孔子

子曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ。 『論語』

ニーチェ

論理学者の迷信について、わたしはあるちょっとした単純な事実を、何度でも飽きることなく強調したいのだ。迷信深い論理学者たちはこれを認めようとしないのだが。――それは思想というものは、「それ」が欲するときだけにわたしたちを訪れるのであり、「われ…

志賀直哉

人間が出来て、何千万年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んで行った。私もその一人として生まれ、今生きているのだが、例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年…

スタンレー・ミルグラム

服従の本質というのは、人が自分を別の人間の願望実行の道具として考えるようになり、したがって自分の行動に責任をとらなくていいと考えるようになる点にある。 『服従の心理』 参照:http://haiiro-canvas.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html関連:http:/…

shorebird

本書はまずダーウィンのヒトのモラルの進化についての取り組みを紹介し,そこから血縁者以外への利他性の謎を提示し,血縁淘汰や直接互恵性では説明しきれないと断ずる.そして間接互恵性やグループ淘汰が効いている可能性を指摘しつつ,どの理論にとっても…

デカルト

(…)理性が私に対して判断において非決定であれと命ずる間も、私の行動においては非決定の状態にとどまるようなことをなくするため、そしてすでにそのときからやはりできるかぎり幸福に生きうるために、私は暫定的にある道徳の規則を自分のために定めた。 …

ドゥルーズ=ガタリ

ただ欲望というものと社会というもののみが存在し、それ以外の何ものも存在しないのである。社会的再生産の最も抑制的な、また最も致命的な形態でさえも、欲望そのものによって生み出されるものなのだ。あれこれの条件のもとで欲望から派生する組織の中で生…

トルストイ

この滑稽さ加減はどうだ。いかにも重大な立派な思想を、教えたり説いたりしながら、同時に女達のヒステリイ騒ぎに巻き込まれて、これと闘い、大部分の時間を潰しているのだ。 『トルストイ未発表日記一九一〇年』/小林秀雄「思想と実生活」より引用

養老孟司

去年「複雑系」というのが流行ったでしょう。あれもアメリカからだけど、ぼくら日本人から見れば、昔から言われていることと重なる部分も多いんです。やっとアメリカ人がコンピュータの力を借りて、いままで放ってたことに気づいたのかって言っているんです…

寺田寅彦

ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。 「小爆発二件」 関連:これが火山国日本の生きる道

寺田寅彦

一家のうちでも、どうかすると、直接の因果関係の考えられないようないろいろな不幸が頻発(ひんぱつ)することがある。すると人はきっと何かしら神秘的な因果応報の作用を想像して祈祷(きとう)や厄払(やくばら)いの他力にすがろうとする。国土に災禍の…

オルダス・ハクスリー

今では社会は安定している。人びとは幸福だ。欲しいものは手に入るし、手に入れられないものはみんな欲しがらない。人びとは暮らしが楽で安全だ。病気にもならない。死ぬことを恐れもしない。激情や老齢などというものはさいわい知らない。母親や父親に煩わ…

玄侑宗久

日本語に「しあわせ」という言葉がありますが、そこには『荘子』や禅の受け身をよしとする考え方が強く生きているように感じられます。「しあわせ」は奈良時代には「為合」と表記しました。「為」は「する」という動詞ですが、その主語は「天」です。天が為…

渋沢栄一

現代の人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことのみを眼中に置いて、それよりもモット大切な天地間の道理を見ていない。彼らは実質を生命とすることができないで、糟粕に等しい金銭財宝を主としているのである。人はただ人たるの務めを完うすることを心掛…

カント

もしその行為が、別の何かの手段としてのみ善いのであれば、その命法は仮言的だ。もしその行為がそれ自体において善く、理性と一致している意志にとって必要なものであるなら、その命法は定言的だ。 汝の意志の格律が、つねに同時に普遍的法則となるように行…

マイケル・サンデル

カントは次のように論じる。動物と同じように快楽を求め、苦痛を避けようとしているときの人間は、本当の意味では自由に行動していない。生理的欲求と欲望の奴隷として行動しているだけだ。欲望を満たそうとしているときの行動はすべて、外部から与えられた…

養老孟司・宮崎駿

養老 『千と千尋の神隠し』のあの電車のシーンがすごく印象に残っています。水の中を走っている。 宮崎 ぼくはあの映画のなかで、千が電車に乗っていけたことが一番うれしかったんです。あれが映画の「山場」になった。ほとんど何も起こらない、あの電車のシ…

ヘラクレイトス

万人にとって同一のものたるこの宇宙秩序(コスモス)は、いかなる神も、人も造ったものではけっしてない。それはつねにあったし、今もあり、これからもあるだろう。それは常久(とこわ)に生きる火であり、一定の分だけ燃え、一定の分だけ消える。(断片 30…

眼鏡パンダ

和辻哲郎「現代日本と町人根性」。西欧列強の帝国主義に対抗するために、「手段」として資本主義を取り入れた日本は、日露戦争後、「手段の奴隷」に反転して、自ら帝国主義化した。和辻は、その原因を「町人根性」にあるとして、江戸時代の町人の思想に立ち…

ゴータマ・シッダールタ

己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。己が楽しみを求める人は、己が(煩悩の)矢を抜くべし。 (煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。 『ブッダのことば』(p131)…