2015-01-01から1年間の記事一覧

小林秀雄

例えば、こういう言葉がある。「最後に、土くれが少しばかり、頭の上にばら撒かれ、凡ては永久に過ぎ去る」と。当り前の事だと僕等は言う。だが、誰かは、それは確かパスカルの「レ・パンセ」のなかにある文句だ、と言うだろう。当り前な事を当り前の人間が語…

宮沢賢治

みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまというだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。 『銀河鉄道の夜』

福沢諭吉

およそ人間に不徳の筒条多しといえども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし。貪吝、奢侈、誹謗の類はいずれも不徳のいちじるしきものなれども、よくこれを吟味すれば、その働きの素質において不善なるにあらず。これを施すべき場所柄と、その強弱…

勝海舟

心は明鏡止水のごとし、といふ事は、若い時に習つた剣術の極意だが、外交にもこの極意を応用して、少しも誤らなかつた。かういふ風に応接して、かういふ風に切り抜けうなど、あらかじめ見込を立てておくのが、世間の風だけれども、これが一番わるいヨ。おれ…

玄侑宗久

「不測に立ちて無有に遊ぶ」。荘子によると明王はこれで国を治めたと言いますが、もちろん実際の政治においてはありえない考え方でしょう。政治の仕事とは予算を立ててそれを執行することです。予算を立てるということは、まだ起きていないことを予測し、実…

荘子

明王の治は、功は天下を蓋(おお)えども、己(おの)れよりせざるに似たり。化(か)は万物に貸(ほどこ)せども、而(しか)も民恃(たの)まず。有れども名を挙ぐる莫(な)く、物をして自(おの)ずから喜ばしむ。不測に立ちて無有に遊ぶ者なり。 為政者…

芥川龍之介

神秘主義は文明の為に衰退し去るものではない。寧ろ文明は神秘主義に長足の進歩を与えるものである。古人は我々人間の先祖はアダムであると信じていた。と云う意味は創世記を信じていたと云うことである。今人は既に中学生さえ、猿であると信じている。と云…

山本七平・小室直樹

山本 その例として、こんなおもしろい話があるんです。つまり天皇的ファンダメンタリストがあれば、進化論を否定しなくちゃおかしいですよね。天皇がサルの子孫であるというのは容認できないでしょう。あれは神の子孫のはずでしょう。小室 ところが誰も問題…

小林秀雄

人間は、正確に見ようとすれば、生きる方が不確かになり、充分に生きようとすれば、見る方が曖昧になる。誰でも日常経験している矛盾であり、僕等は永久に経験して行く事だろう。 「イデオロギイの問題」

パスカル

わずかのことがわれわれを悲しませるので、わずかのことがわれわれを慰める。 『パンセ』(断章136) 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/20070101/1167597450

内藤湖南

大體今日の日本を知る爲に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、應仁の亂以後の歴史を知つて居つたらそれで澤山です。それ以前の事は外國の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬが、應仁の亂以後は我々の眞の身體骨肉に直接觸…

ダーウィン

つまり、自然の闘争から、飢餓と死から、われわれにとってはもっとも高貴な目的と思える高等動物の誕生が直接の結果としてもたらされるのだ。この生命観には荘厳さがある。生命は、もろもろの力と共に数種類あるいは一種類に吹き込まれたことに端を発し、重…

小室直樹

イスラムの信者にとって、法を守ることは、そのまま神を信じることにつながる。法を守ることによって、ムスリム(イスラム教徒)は容易に安心立命の境地に達する。しかるに、キリスト教には法もなければ、規範もまた存在しない。このような宗教において、信…

真木悠介

現在が未来によって豊饒化されることはあっても、手段化されることのない時間、開かれた未来についての明晰な意識はあっても、そのことによって人生と歴史をむなしいと感ずることのない時間の感覚と、それを支える現実の生のかたちを追求しなければならない…

ドストエフスキー

俺が認めないのは神じゃないんだよ、そこのとこを理解してくれ。俺は神の創った世界、神の世界なるものを認めないのだし、認めることに同意できないのだ。断っておくけれど、俺は赤児のように信じきっているんだよ――苦しみなんてものは、そのうち癒えて薄れ…

リチャード・ドーキンス

たしかに、遺伝子が生体レベルでの非利己的な協力やときには自己犠牲をプログラミングすることによって、遺伝子レベルでの利己的な繁栄を最大化する場合もある。だが、集団の幸福とは偶然の結果であって、それを追求するのが本質なのではない。これが「利己…

アーサー・C・クラーク

我々は、短期的には技術を過大評価し、長期的には技術を過小評価する。 参照:ロドニー・ブルックス「なぜ、私たちはロボットに頼ることになるのか」

ランボー

――何も彼もが、原始の国、東洋の思想と叡智とからは結構遠くにあるのではないか。こんなに毒物ばかりが製造されて何が近代だ。『教会』の人々は言うだろう、「解っている。だが、あなたのおっしゃるのはエデンの事だろう。東洋人達の歴史にはあなたのお為に…

水木しげる

この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要ないよ。 『カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る』 参照:http://browncapuchin.hatenablog.com/entry/shigeru-mizuki-20151130 参考:https://pbs.twimg.com/media/CVB-_4wUAAAYahp.jpg:large

スタニスラス・ドゥアンヌ

数学が進化しているのは、よく立証された歴史の事実だ。数学は、堅固な知識のかたまりなどではない。その対象も、論理展開のやり方さえも、多くの世代を経て進化してきた。数学の城は、試行錯誤で建てられてきた。もっとも高い骨組みは、ときには崩れる寸前…

森田真生

本書は、自然数(1以上の整数)という概念が、私たちの脳にとっては決して「自然」なものでない、ということの論証からはじまる。 私たちが生物として持っている「数覚」は、自然数の概念のように離散化されたものではなく、もっと連続的でアナログなものだ…

小室直樹

空とは有無を超越し、相互依存と同義である。モデル、仮説、すなわちアリストテレス論理学を用い、絶対の真理の存在を前提に考えられた論理に対し、ナーガールジュナの説いた、すべてを仮のものとする空の発想がまさにこれなのである。近代の科学が現代にい…

龍樹

〈有り〉というのは常住に執著する偏見であり、〈無し〉というのは断滅を執する偏見である。故に賢者は〈有りということ〉と〈無しということ〉に執著してはならない。 『中論』(第15章・第10詩)/『龍樹』(p.355) 関連:http://hideasasu.hatenablog.co…

中村元

元来ブッダは仏教外の諸派の説を断または常の見解に堕するものとして排斥したのであるから、かりそめにも仏教徒たるものはけっして断滅と常住との偏見をもつことは立場上許されない。すなわちいかなる個人存在もまたいかなる事物も永久に存在する(常住)と…

渡辺政隆

今から150年前、ダーウィンは満を持して『種の起源』を世に問うた。その書では、当時の人々が密かに恐れていた宣告が雄弁に語られていた。すなわち、「ヒトはどこから来てどこへ行くのか」という問いかけとその答が。『種の起源』以後、ヒトは神の祝福を受け…

荒木優太

いうべきことを端的に要約しておこう。「しかない」論者には「しかたない」という根本的な感情があるかもしれない。しかし今日、様々な「仕方」は存在する。もちろん、そのすべてが意に適うような有効なものだと言う気はない。しかし「しか(た)ない」とい…

ゲーテ

啓示を切望する。新約聖書ほど啓示のあふれた書物がまたとあるだろうか。原典をひもといて、その語るところを、ごく素直な気持で好みのドイツ語に訳してみるのはどうだろう。これはどうだ、「初めに言葉ありき」。はやくもこだわってしまうのだが、さて、ど…

団藤重光

法はわれわれにとって所与ではなくて課題である。法は、つねに形成――しかも主体的な形成――の途上にあるといってよい。ファウストは、メフィストフェレスに、「わたしが瞬間にむかって、『止まれ、お前はかくも美しい!』といったら、わたしは滅びてもいい」…

ドミニク・チェン

コンピューターは人間より優れた「秩序ある社会」をつくれるかもしれない。ぼくたちはそろそろ真剣に、このヴィジョンに従うのか否かを、ただ考えるのではなく、決断して行動する必要がある。 計算機と人間の体はまったく異なる存在であるがゆえに、計算機を…

小坂井敏晶

研究のレベルなど、どうでもよい。どうせ人文・社会科学を勉強しても世界の問題は解決しません。自分が少しでも納得するために我々は考える。それ以外のことは誰にもできません。社会を少しでも良くしたい、人々の幸せに貢献したいから哲学を学ぶ、社会学や…