2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

戸坂潤

思想とはあれこれの思想家の頭脳の内にだけ横たわるようなただの観念のことではない。それが一つの社会的勢力として社会的な客観的存在をもち、そして社会の実際問題の解決に参加しようと欲する時、初めて思想というものが成り立つのである。 (『日本イデオ…

2chコピペ

14 ノイズ2(アラバマ州) :2009/10/25(日) 20:47:20.44 id:UrPJs0+q なぜ人を殺しちゃいけないか? 社会学的理由「役割理論によると殺人者という役割になってしまい今後コミュニケーションが不利になるから。」 心理学的理由「道徳的不快感と生理的不快感が生…

ドストエフスキー

人間は良心の自由などという重荷に堪えられる存在ではない。彼らはたえず自分の自由とひきかえにパンを与えてくれる相手を探し求め、その前にひれ伏すことを望んでいるのだ。だからこそ、われわれは彼らを自由の重荷から解放し、パンを与えてやった。今や人…

ドストエフスキー

およそ直情型の人間ないし活動家が行動的であるのは、彼らが愚鈍で視野が狭いからである。[…]彼らは視野が狭いために、手近にある第二義的な原因を本源的な原因ととりちがえ、それでほかの人間より手っとり早く、簡単に、自分の行動の絶対不変の基礎が見つ…

孔子

知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり (『論語』)

レヴィナス

存在することは、存在すること以外のもの全ての不可能性、自己革命以外の一切の革命の不可能性に他ならないのではなかろうか。存在することをも驚かしうる驚異にせよ、技術や魔術による刷新の驚くべき可能性にせよ、この世界の高みに住まう神々の完全性や不…

ボードレール

遂に僕の魂は爆発した。さかしくもこう叫んだ。「何処でもいいのだ! ただそれがこの世の外でさえあるならば!」 (「この世の外へなら何処へでも」/福永武彦訳)

コジェーヴ

人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけである。人間自身が現実に、客観的に自然的存在者以上のものであり、それと異なったものであるのは人為的対象を作り出した後であり、人間が自己の人間的かつ主観的な実在性を真…

小林秀雄

加納氏の言うトルストイが、芸術によっても思想を通じても果すことの出来なかった人生とは何ぞやという問題の解決を、トルストイの実生活に於ける悲劇が果しているとは一体どういう意味だろう。彼の痛ましい悲劇も、それ自体問題の解決だ、では彼の死もまた…

小林秀雄

実生活を離れて思想はない。しかし、実生活に犠牲を要求しないような思想は、動物の頭に宿っているだけである。社会的秩序とは実生活が、思想に払った犠牲にほかならぬ。その現実性の濃淡は、払った犠牲の深浅に比例する。伝統という言葉が成立するのもそこ…

フローベール

極度に集約された思想は詩に変ずる (小林秀雄「作家の顔」より孫引き)

ラッセル

私が本当に腹からいいたいことは、仕事そのものは立派なことだという信念が、多くの害悪をこの世にもたらしているということと、幸福と繁栄に到る道は、組織的に仕事を減らしていくにあるということである。(中略) だが相当のひまの時間がないと、人生のも…

東浩紀

思想の言葉は、問題を解決し、ひとを納得させるためにあるのではない。それは、新たな問題を提起し、ひとを困惑させるためにこそある。 (東浩紀・大澤真幸『自由を考える』8頁)

ボードレール

「自然」とは一つの神殿 立ち並ぶ柱も生きていて ときおりは 聞きとりにくい言葉を洩らしたりする。 人間がそこを通れば 横切るは象徴の森 森は親しげなまなざしで彼を見守る。 (「万物照応」/『悪の華』安藤元雄訳)

鈴木大拙

知性は究極のものではなく、己れよりも高い何ものかを待って初めて、結果をかまわずに提起した全ての問題の解決を見るに到るのである。もし知性が、混乱の中に新しい秩序をもたらして、はっきりと解決をつけることができるものであったら、アリストテレスな…

バクーニン

破壊への情熱は、創造の情熱である (『ドイツにおける反動』)

飯田泰之

例えば「自由競争がすばらしいかどうか」、というのに対して、経済学が答えは持っていないと思うんですね。例えば貿易は、基本的に貿易、自由貿易のほうが、社会全体での余剰と呼ばれる経済的な豊かさの指標は高くなる。ここまでは経済学で言っていいんです…

池田晶子

ほんとうの哲学者ならば、社会革命くらいで気が治まるはずがないのだ、人は食わなきゃならないものだなんて、とっくに信じてやしないのだから。したがって、「世界を変える」ことなど、全然、手ぬるい。重要なのは、世界をすっかりチャラにすることである。…

孔子

子曰く、中庸の徳為(た)る、其れ至れるかな。民 鮮(すく)なきこと久し。 『論語』

ホラティウス

誰であれ黄金の中庸を喜ぶ者は、 廃屋の汚れから無縁であってつつがなく、 嫉妬のもととなる館からも、冷静に 無縁でいられる。 (『カルミナ(歌章)』)参考:http://www.kitashirakawa.jp/taro/lit14.html

ランボー

この俺、嘗ては自ら全道徳を免除された道士とも天使とも思った俺が、今、務めを捜そうと、この粗々しい現実を抱きしめようと、土に還る。百姓だ。俺は誑かされているのだろうか。俺にとって、慈愛とは死の姉妹であろうか。最後に、俺は自ら虚偽を食いものに…

斎藤環

いわゆる「虚構」と「現実」との間に、本質的な区別など存在しない。ウソみたいな現実もあれば、現実以上にリアルな虚構も存在する。われわれにその区別を可能にしているのは、端的に「リアルの濃淡」という「程度の判別」にすぎないのだ。 (「虚構」は「現…