小林秀雄

実生活を離れて思想はない。しかし、実生活に犠牲を要求しないような思想は、動物の頭に宿っているだけである。社会的秩序とは実生活が、思想に払った犠牲にほかならぬ。その現実性の濃淡は、払った犠牲の深浅に比例する。伝統という言葉が成立するのもそこである。この事情は個人の場合でも同様だ。思想は実生活の不断の犠牲によって育つのである。ただ全人類が協力して、長い年月をかけて行った、社会秩序の実現というこの着実な作業が、思想の実現という形で、個人の手によって行われる場合、それは大変困難な作業となる。真の思想家は稀れなのである。この稀れな人々に出会わない限り、思想は、実生活を分析したり規定したりする道具として、人々に勝手に使われている。つまり抽象性という思想本来の力による。

(「思想と実生活」)