2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧
凡そ思慮は平生黙坐静思の際に於てすべし。 林房雄『現代語訳 大西郷遺訓』 参照:https://twitter.com/140ijin/status/701228804824395777 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2013/08/21/172945
臨機応変の妙用は、無念無想の底より来る。 参照:デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/12/27/213133http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/12/26/204708
のどかというものは、これが平和の内容だろうと思いますが、自他の別なく、時間の観念がない状態でしょう。 小林秀雄・岡潔『人間の建設』(p.109)
心こそ 心迷わす 心なれ心に心 心ゆるすな*1 『不動智神妙録』 *1:最明寺入道時頼の作という説もある
人の有るが儘の心は、まことに脆弱なものであるという、疑いようのない事実の、しっかりした容認のないところに、正しい生活も正しい学問も成り立たぬという、彼〔宣長〕の固い信念、そこに大事がある。「うごくこゝろぞ 人のまごころ」と歌われているところ…
私はデカルトを許せない。彼はその全哲学のなかで、できることなら神なしですませたいものだと、きっと思っただろう。しかし、彼は、世界を動きださせるために、神に一つ爪弾きをさせないわけにはいかなかった。それからさきは、もう神に用がないのだ。 『パ…
しかしながら、諸君、真に賢明なのは独り神のみでありまた彼がこの神託においていわんとするところは、人智の価値は僅少もしくは空無であるということに過ぎないように思われる。そうして神はこのソクラテスについて語りまた私の名を用いてはいるが、それは…
ジェインズの仮説は、この「自己同一的な私」というものが人類史に出現してきたのは、私たちが想像するよりはるかに近年になってからであろうというものである。「自己同一的な私」が登場する以前には、「それまでの人生で積み重ねてきた訓戒的な知恵をもと…
哲学者ニコラウス・クザーヌスの「神の照覧あるが故に我在るなり」(神様が私をご覧になっているから、私は存在する)という言葉に象徴されるように、中世における自我は、自分ひとりで存在することはできず、常に神とともに受動的に世界に在るというもので…
はじめに──フロイトの二段階革命 本稿は、人間の思考、なかんずくその合理性と主体性をめぐって進行している知識革命にかんする中間報告である。 ジークムント・フロイトはかって、人類は科学によって三度自尊心を傷つけられた、と語った。コペルニクスの天…