自由意志

内田樹

ジェインズの仮説は、この「自己同一的な私」というものが人類史に出現してきたのは、私たちが想像するよりはるかに近年になってからであろうというものである。「自己同一的な私」が登場する以前には、「それまでの人生で積み重ねてきた訓戒的な知恵をもと…

河合祥一郎

哲学者ニコラウス・クザーヌスの「神の照覧あるが故に我在るなり」(神様が私をご覧になっているから、私は存在する)という言葉に象徴されるように、中世における自我は、自分ひとりで存在することはできず、常に神とともに受動的に世界に在るというもので…

小室直樹

人間はともすれば、自分の自由意志で動いているようについ思ってしまう。権威なんかなくても自分の頭だけで生きていけると思うわけですが、社会科学は「それは幻想にすぎない」ということを教えています。人間とは社会的存在であって、本当の意味での「個人…

スピノザ

自分は、自分の精神の自由な決意にしたがって、何かをしゃべったり、黙っていたり、その他等々のことをしていると信じているものは、目を開けながら夢を見ているにちがいないのである。 『エチカ』 参照:http://philosophy.hix05.com/Spinoza/spinoza05.hum…

エックハルト

まずはじめに、何ものも意志することのない人こそ、貧しき人であるとわたしたちは語るのであるが、この意味を多くの人たちは正しく理解していない。りっぱなことだと思ってはげむ贖罪の行や見かけだけの修練をつんでかえって利己的な我にとらわれているよう…

飲茶

もし、我々が、自分自身の選択について、「なぜそれを選んだかの仕組みが完全にわかっていた」としたら、それはもう自由意志ではなく、機械的な意志になってしまう。したがって、機械的な意志でないためには、「なぜそれを選択したのか、その仕組みがわから…

池谷裕二

私たちは意識上では極めて自由に行動しているつもりであっても、現実には、本人でさえ自覚できないような行動のクセがあって、知らず知らずに、活動パターンが常同化しています。バラバシ博士らは「ヒトには変化や自発性への強い顔貌があるが、現実の生活は…

下條信輔

現代社会と現代人のさまざまな不合理や理不尽は、情動と潜在認知というキーワードで読み解くことができそうです。現代人は、過剰と誘導と操作と制御とに晒されています。マスメディアと大衆誘導技術の発達が、潜在認知というパンドラの函を開けてしまいまし…

マイケル・S. ガザニガ

ラマチャンドランも、ジョン・ロックの自由意志論に似た考え方でこう語っている。「私たちの意識が持っているのは、自由意志ではなく『自由否定』かもしれない」 デネットは進化の切り口からこう書いている。「保存した情報を取り出すことで適応上有利になる…

戸田山和久

現在、多くの人々が市民的自由を行使することと、自己責任を引き受けることを直結させている。「誰があんたにそれをしろと強制しました? あんたが自分で選んだんだから、その結果どうなろうとあんたの自己責任でお願いしますよ」という具合。しかし、これま…

中島義道

AとBという選択肢を前にして私がAを自由に選択したという記号化は、けっしてその時の自由な行為の再現を意味するものではない。それは、むしろAを選択したことに関して私に責任が課されるということからさかのぼって意味づけられることなのだ。 『時間論』 …

池谷裕二

(…)自由意志は存在するかと聞かれたら私は、自分が「自分は自由だ」と信じているのなら「存在する」と言っていいと思います。ただし、「自分は自由だ」と感じる「意識」とは、脳の活動の大半を占める無意識から見たら、表層的な飾り物にすぎない。自由は、…

ニーチェ

「わたしは身体であり魂である」――これが幼な子の声なのだ。なぜ、ひとは幼な子のように語ってはいけないのか?さらに目ざめた者、識者は言う。わたしはどこまでも身体であり、それ以外の何物でもない。そして魂とは、たんに身体における何物かをあらわす言葉に…

小坂井敏晶

近代的道徳観や刑法理念においては、自由意志の下になされた行為だから責任を負うと考えられている。しかし責任の正体に迫るためには、自由意志に関する我々の常識を改めなければならない。責任が問われる時、時間軸上に置かれた意志なる心理状態と、その結…

池田晶子

自由意志か宿命か、などの問題が、変わらずに人類の論争の火種であり得るということ自体が馬鹿馬鹿しいのだ、答えなんかないんだから。私は、こういう繰り返し哲学史上に現われる論争を見るにつけ、何かこう、もの哀しいような気持ちになる。ほんとうに人類…

埴谷雄高

――ところで、生れついてこの方絶えず外部からつき動かされている俺達が自らだけから発した意志、正真正銘の自由意志でおこなえることがこの人生に二つあるが、お前はそれがなんだと思うかね。 ――他のひとつは解りませんけれど、ひとつは古くから決っています…

芥川龍之介

兎に角宿命を信ずれば、罪悪なるものの存在しない為に懲罰と云う意味も失われるから、罪人に対する我我の態度は寛大になるのに相違ない。同時に又自由意志を信ずれば責任の観念を生ずる為に、良心の麻痺を免れるから、我我自身に対する我我の態度は厳粛にな…