2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

阿部謹也

(…)「徒然草」の吉田兼好から西鶴、そして漱石に至るまで、わが国の文学の世界はいかに多くを一種の「隠者」に負うてきたことだろう。隠者とは日本の歴史の中では例外的にしか存在しえなかった「個人」にほかならない。日本で「個」のあり方を模索し自覚し…

吉田兼好

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙たちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。 『徒然草』

小林秀雄

仏教によって養われた自然や人生に対する観照的態度、審美的態度は、意外に深く私達の心に浸透しているのであって、丁度雑踏する群衆の中でふと孤独を感ずる様に、現代の環境のあわただしさの中で、ふと我に還るといった様な時に、私はよく、成る程と合点す…

釈迦

此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す。 小部経典『自説経』(1 , 1-3菩提品)参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/04/19/152840

ヘラクレイトス

生と死、覚醒と睡眠、若年と老年は、いずれも同一のものとしてわれわれのうちにある。このものが転化して、かのものとなり、かのものが転化してこのものとなるからだ。 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/05/20/220022 http://hideasasu.hat…

アリストテレス

全体とは、部分の総和以上のなにかである

中島敦

人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。 『山月記』

小島毅

歴史は科学ではない。基本的に文学だ。

ホッブス

真偽はことばの属性であって、ものごとの属性ではない。そして、ことばがないところには、真実 truthも虚偽 Falshoodもない。 『リヴァイアサン』