2011-01-01から1年間の記事一覧

スティーブ・ジョブズ

誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の…

洪自誠

福(さいわい)は事少なきより福なるはなく、禍(わざわい)は心多きより禍なるはなし。唯だ事に苦しむ者のみ、方(はじ)めて事少なき福たるを知り、唯だ心を平らかにする者のみ、始めて心多きの禍たるを知る。 『菜根譚』

エックハルト

だれかが命に向かって千年もの間、「あなたはなぜ生きるのか」と問いつづけるとしても、もし命が答えることができるならば、「わたしは生きるがゆえに生きる」という以外答はないであろう。それは、命が命自身の根底から生き、自分自身から豊かに湧き出でて…

丸山真男

私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置き物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとす…

バーナード・ショー

汝の欲するところを他に施してはいけない。他人とは趣味が違うから。

池内了

個々の事実について確率は参考になるが、個人にとっての結果は100%か0%の二通りしかないことに注意しよう。これが問題になる典型例は、医者から「あなたの手術の成功確率は40%だ」と言われた場合だろう。多数の手術を経験した医者として成功確率は言える…

湯川秀樹

物みなの底に一つの法ありと日にけに深く思ひ入りつゝ

本居宣長

老子の自然とまをすは、真の自然に候はず、実は儒よりも甚だしく誣たる物に候なり。若し真に自然を尊み候はば、世の中は如何様に成行共、成行ままに任せて有べきことに候へ。儒の行はるるも、古への自然のそこなひ行も、皆天地自然のことなるべきに、それを…

エウリピデス

幸いなるかな、探究の道にすすみ、 市民たちに害を及ぼそうとも、 不正な行為に走ろうともせずに、 不死なる自然万有(ピュシス)の不老の秩序世界(コスモス)を眺め、 それがいかにして、また何から、何によって形成されたかを観照する者は。 かかる人びと…

ウィトゲンシュタイン

世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ。 『論理哲学論考』

ラインホールド・ニーバー

神よ、 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する…

中原中也

私とは、つまり、そのなるにはなつちまつたことを、決して咎めはしない悲嘆者なんだ。 「詩的履歴書」

宮沢賢治

夜があけて海岸へかかるなら そして波がきらきら光るなら なにもかもみんないいかもしれない けれどもとし子の死んだことならば いまわたくしがそれを夢でないと考へて あたらしくぎくつとしなければならないほどの あんまりひどいげんじつなのだ 感ずること…

夏目漱石

世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そう…

日は夜を知らず月は昼を知らず。 『淮南子』繆称訓

トーマス・カーライル

沈黙は雄弁に勝る。 『衣装哲学』

本居宣長

此世に死ぬるほどかなしき事は候はぬ也、然るに儒や仏は、さばかり至てかなしき事を、かなしむまじき事のやうに、いろいろと理屈を申すは、真実の道にあらざる事、明らけし 『鈴屋答問録』

夏目漱石

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 『草枕』

エピクロス

明日を最も必要としない者が、最も快く明日に立ち向う。

空海

三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず。生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。 秘蔵宝鑰

吉田兼好

究竟は理即に等し。大欲は無欲に似たり。 『徒然草』

吉田兼好

死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死あることを知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。 『徒然草』