2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧
(…)自由意志は存在するかと聞かれたら私は、自分が「自分は自由だ」と信じているのなら「存在する」と言っていいと思います。ただし、「自分は自由だ」と感じる「意識」とは、脳の活動の大半を占める無意識から見たら、表層的な飾り物にすぎない。自由は、…
私たちの祖先はもともと、客観的に世界を眺めていたことなど、ほとんどなかったはずだ。そこに危険が潜んでいないか、利益をもたらすモノはないか、切実に眺めていたほうがはるかに多かったにちがいない。脳も当然、その用途に適すものになっているというこ…
人間のもっとも特殊なところは、自分がつくりだしたものが自分の一番大事な環境になっているという点です。その文化というもの、社会というものが自分の一番順応しなければいけない環境になっていて、新しい文化がつくられると、それが跳ね返って、自分の遺…
人は習慣を創造し、新しい環世界を獲得していく。そうすることで周囲をシグナルの体系へと変換する。なぜそうするのかと言えば、ものを考えないですむようにするためである。四六時中新しいものに出会って考えていては生きていけない。ならば逆に、人がもの…
秩序と乱雑の二つの世界は、いずれも複雑なものではない。私たちにとって厄介なのは、両者のあいだに位置する世界である。秩序がありそうだが、なさそうでもある。乱雑なようでもあるが、乱雑でないようでもある。わかりそうでわからない。そのような世界が…
進化の話をするとき、ヒトには楽しいとかユーモアというポジティブな感情があるけれども、下等な動物にはなさそうだ、だからヒトのほうが高等だと考える人がいます。たしかにそういう側面はあるかもしれませんが、私はこういう考えをあまり持ちません。むし…
あらゆる命はたえず無限の関係性のなかで変化しながらいろんな形に展開していくだけ。そのグラデーションの、境目のない変化の波の特定のポイントを「誕生」とか「死」と呼ぶのは、物事を固定化したがる脳の仕業ということです。 そう考えると、「生まれた」…
どうやらヒトには元来、秩序や因果を発見しようとする強い認知傾向があるようです。本来意味やつながりがないとわかっているランダムな出来事や事象にも、意味や因果、あるいは法則を見出そうとする。これは非常に根強い、ヒトの本質的な性向です。逆にいえ…
感情は、それと反対の、しかもその感情よりもっと強力な感情によらなければ抑えることも除去することもできない。 『エチカ』
スピノザの『エチカ』のオプティミズムは、フロイトのこのペシミズムとちょうど表裏の関係にある。それは希望の物語をもたないがゆえに絶望をもたない。それは意味・目的をもたないがゆえに無意味をもたない。一方では、希望・意味をもたないがゆえにペシミ…
「人生の意味」というものを問うことに、私自身は全く何の意味も見出せません。人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない。 『知の逆転』 関連:http://hideasasu.ha…
[ストア派は]「自然にしたがって生きよ」と教えたが、君たちはほんとうに生きることを望んでいただろうか?(…)自然は、際限なしに浪費するし、際限なしに無関心であり、意図も顧慮ももたず、憐憫も正義も知らず、豊饒であると同時に不毛であり、同時に不…
日本語では、「おのずから」と「みずから」とは、ともに「自(か)ら」です。そこには、「みずから」為したことと、「おのずから」成ったこととが別事ではないという理解がはたらいています。われわれはしばしば、「今度結婚することになりました」とか「就…