2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

吉田兼好

友とするにわろきもの七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵、六つには虚言する人、七つには欲深き人。よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師、三つには…

僧璨

性に任ずれば道に合う、逍遥として悩を絶す、繋念は眞に乖く、昏沈は不好なり、不好なれば神を労す、何ぞ疎親することを用いん。一乗に趣かんと欲せば、六塵を惡むこと勿れ、六塵惡まざれば、還て正覚に同じ。 本来のことに任せてみれば道にかなうものである…

小林秀雄

「人間は苦悩を愛する」というドストエフスキイの愛好した言葉には、少しもひねくれた意味はない。ひたすら人間の内的なものの探究に力を傾けた人物の極めて直截な洞察が語られているだけだ。 「『悪霊』について」 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/e…

竹内整一

浄土教も仏教である限り、最終的には、何の欲望・煩悩も兆さないという涅槃(ニルバーナ=火が吹き消えた状態)が目指されています。欲望・煩悩の火がメラメラと燃えているかぎり苦しみが引き起こされるから、それを吹き消すことによって、もう苦しまなくて…

本居宣長

まことには、わが身を安しとして、足事をしれるものはなきものなり、たとへば人の齡など、七十に及ぶは、まことにまれなる事なれば、七十までも長らへては、はやく足れりと思ふべきことなれども、人みな猶たれりとは思はず 『玉勝閒』 参照:https://twitter…

三宅陽一郎

AI

「人工知能」ほど、定義の曖昧な分野はありません。なぜなら、その定義は「知能とは何か?」という問いとまっすぐに結びついているからです。そして、その哲学的にも深い問いはいま、誰も明確に答えることはできません。 人工知能は、自分で問題を設定するこ…

老子

明道は昧(くら)きが若(ごと)く、進道は退くが若く、夷道は類なるが若し。上徳は谷の若く、広徳は足らざるが若く、健徳は怠るが若し。質真は変るが若く、大白は辱なるが若く、大方は隅無し。大器は晩成し、大音は希声、大象は形無しと。 『老子』(第四十…

司馬遼太郎

谷こそ古日本人にとってめでたき土地だった。丘(岡)などはネギか大根、せいぜい雑穀しか植えられない。江戸期のことばでも、碁の岡目八目とか岡場所(正規でない遊里)という場合の岡は、傍とか第二義的な土地という意味だった。村落も谷にできた。近世の…

ヘラクレイトス

われわれは、同じ川に踏み入れるとともに、踏み入れない。われわれは、あるとともにあらぬのだ。 廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』(p.238) 強調原文 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/20101230/1293698466http://hideasasu.hatenablog.com/…

山形浩生

ぼくは反知性主義というのは世界において普遍的なものだと思っている。そうした動きは、どんな宗教にも、いやどんな文化文明にも存在する。たとえば浄土宗や浄土真宗は、真言密教を筆頭に「中国でお勉強してきました」エリート仏教に対する一つの反動だ。こ…

エーリッヒ・フロム

人間と自由との根本的な関係について、とくに雄弁に語っているのは、人間の楽園追放という聖書の神話である。神話も人類の歴史のはじまりは、選択という行為にあるといっている。しかし、神話はこの最初の自由な行為が、どんなに罪深いものであり、またその…

芥川龍之介

悉達多は六年の苦行の後、菩提樹下に正覚に達した。彼の成道の伝説は如何に物質の精神を支配するかを語るものである。彼はまず水浴している。それから乳糜を食している。最後に難陀婆羅と伝えられる牧牛の少女と話している。 「仏陀」/『侏儒の言葉』

曽根宣雄

釈尊は、小国の王子としてお生まれになり、楽しみに満ちあふれた生活を送られたのですが、快楽の生活を否定し、29歳で出家されます。その後、6年間に渡って厳しい修行に励まれ、最後は断食行を行い命を落としかけます。その時にスジャータという女性から乳…

夏目漱石

山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作…

ゲーテ

人はほんとうは、ほとんど知らない時にのみ知っている。知識と共に疑いが増す。 「格言と反省」/『ゲーテ格言集』(p.184) 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/20100903/1283483244http://hideasasu.hatenablog.com/entry/20100118/1263743055

岡潔

別のいい方をすれば、絶えずきれぎれの意志が働き続けるのが大脳の過熱で、この意志が大脳前頭葉に働くのを抑止しなければ本当の智力は働かないということです。この本当の智力というのは、本当のものがあればおのずからわかるという智力で、いわば無差別智*…

森田真生

数学における創造は、数学的自然を生み、育てる「心」のはたらきに支えられている。種子や土壌のない農業がありえないように、心のない数学はありえない。その心の働きそのものを、人間の意志で生み出すことはできない。人間にできるのは、それを生かし、育…

パスカル

我意*1は、すべてのことを心のままになしえた場合にも、決して満足しないであろう。しかし、人は我意を投げ捨てたその瞬間から満足する。それがなくなれば、人は不満であることはできない。それがあると、人は満足していることはできない。 『パンセ』(断章…

鈴木大拙

自力というのは、自分が意識して、自分が努力する。他力は、この自分がする努力はもうこれ以上できぬというところに働いて来る。他力は自力を尽くしたところに出て来る。窮すれば通ずるというのもこれである。意識して努力の極点に及ぶというと、もうこれ以…

胡寅

人事を尽くして天命に聴(まか)す 『読史管見』 参照:http://kotowaza-allguide.com/si/jinjitsukushitetenmei.html

埴谷雄高

文学は、表面どういうかたちをとるにせよ、すべて自分の内面にかかわるのが鉄則でありますけれども、『死の家の記録』で描いたごとくに外面から見てゆくのと違って、いきなり内面を覗くという手法をとったこの作品は、そのモノローグのすべてを「苦痛は快楽…

ドストエフスキー

僕自身はと云えば、僕は時代の子、不信と懐疑との子だと言えます。今までそうだったし、死ぬまできっとそうでしょう。この信仰への飢えが、今までどんなに僕を苦しめて来たか、今も苦しめているか。飢えが心中で強くなればなるほど、いよいよ反証の方を摑む…

山本七平

一つの一元的合理性を徹底的に追求させている原動力が、実は、最も非合理的な原初的な一つの力であり、この力を失えば合理性の追求は消え、この力が絶対化されればやはり合理性は消える。そしてその力は新しいものではなくむしろ最も保守的な伝統にある(p.1…

小林秀雄

僕等の人生は過ぎて行く。だが、何に対して過ぎて行くと言うのか。過ぎて行く者に、過ぎて行く物が見えようか。生は、果たして生を知るであろうか。 「モオツァルト」

小室直樹

あらためて述べるまでもなく、憲法の急所は「基本的人権」です。基本的人権が守られていなければ、その憲法は死亡宣告を受ける。中でも最も大切なのが、生命、自由の権利です。だからこそ、日本国憲法第13条にも国民の「生命、自由、幸福追求に対する権利」…

アンディ・クラーク

わたしたちは、個々の人間としてのわたしたちという意味だが、これらの道具の変化する連合でしかない。わたしたちは「柔らかな自己」であり、常に変化に対して開かれ皮膚や頭骨の境界から漏れ出すように駆り立てられ、心という機構の諸局面として非生物的な…

シオラン

仕事の妨げになるもの、それはみないいものだと私は思うし、私の生きている瞬間は、どれもみな仕事からの逃げ口上である。責任回避、どんな取るに足りぬものでも、責任を取ることの恐ろしさ、どうやらこれが私という人間の顕著な特徴のようだ。私は魂のなか…

湯川秀樹

天地(あめつち)は逆旅なるかも 鳥も人も いづこより来て いづこにか去る 参照:http://1000ya.isis.ne.jp/0828.html

松尾芭蕉

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。 月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。船頭と…

李白

夫れ天地は萬物の逆旅にして光陰は百代の過客なり而して浮生は夢の若し歡を爲すこと幾何(いくばく)ぞ そもそも天地は万物を迎え入れる旅館のようなもの、光陰は永遠の旅人のようなものだ、そして人生とは夢のようなもの、楽しさも長続きはしない 「春夜宴…