2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧

真木悠介

われわれの行為や関係の意味というものを、 その結果として手に入る 「成果」 のみからみていくかぎり、 人生と人類の全歴史との帰結は死であり、 宇宙の永劫の暗闇のうちに白々と照りはえるいくつかの星の軌道を、 せいぜい撹乱しうるにすぎない。 いっさい…

エーリッヒ・フロム

たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。ひたすら貯めこみ、何か一つでも失うことを恐れている人は、どんなにたくさんの物を所有していようと、心理学的にいえば、貧しい人である。 『愛するということ』

老子

道は常に無為にして、而も為さざるは無し。 『老子道徳経』

ドストエフスキー

結局のところ、諸君、何もしないのがいちばんいいのだ!意識的な惰性がいちばん!だから、地下室万歳!というわけである。 『地下室の手記』

パスカル

気を紛らすこと。 人間のさまざまな立ち騒ぎ、宮廷や戦争で身をさらす危険や苦労、そこから生ずるかくも多くの争いや、情念や、大胆でしばしばよこしまな企て等々について、ときたま考えた時に、私がよく言ったことは、人間の不幸はすべてただ一つのこと、す…

ディオゲネス

何もしないこと。それが平和だ。

デモクリトス

快活な心のありかたを願う者は、私的にであれ公的にであれ、多くのことをやりすぎてはならない。また、その者は何をなすにせよ、自分の能力や素質以上に望んではならないのだ。むしろ、幸運が偶然に訪れて、より多くのものを指し示してくれる時でも、なお、…

見田宗介

アメリカ原住民のいくつかの社会の中にも、それぞれちがったかたちの、静かで美しく、豊かな日々があった。彼らが住み、あるいは自由に移動していた自然の空間から切り離され、共同体を解体された時に、彼らは新しく不幸になり、貧困になった。経済学の測定…

中村元

大乗仏教、とくにナーガールジュナを祖とする中観派の哲学者たちは次のように主張した。――何ものも真に実在するものではない。あらゆる事物は、見せかけだけの現象にすぎない。その真相についていえば空虚である。その本質を「欠いて」いるのである。(…)無…

福岡伸一

機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れ…

ゴータマ・シッダールタ

33 悪魔パーピマンがいった、 「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執著(しゅうじゃく)するもとのものは喜びである。執著するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」 34 師は答えた、 「子のある者は子について憂…

ゴータマ・シッダールタ

自己よりもさらに愛しいものは決して存在しない。同様に他の人々にもそれぞれ自己は愛しい。故に自己を愛するものは他人を害してはならぬ。 『相応部』/中村元『原始仏教 その思想と生活』より 関連:利己的な遺伝子

山本七平

われわれ日本人の世界には原則的に言えば相対化はない。ただ絶対化の対象が無数にあり、従ってある対象を臨在感的に把握しても、その対象が次から次へと変わりうるから、絶対的対象が時間的経過によって相対化できる――ただし、うまくやれば――世界なのである…

山本七平

ではここで、われわれはもう一度、何かを決定し、行動に移すときの原則を振りかえってみよう。それは「『空気』の研究」でのべたとおり、その決定を下すのは「空気」であり、空気が醸成される原理原則は、対象の臨在感的把握である。そして臨在感的把握の原…

ランボー

もう秋か。――それにしても、何故に永遠の太陽を惜しむのか、俺たちはきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか、――季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。 「別れ」/『地獄の季節』小林秀雄訳

尾崎一雄

少しは不便でもいいから、もっとのんびりさせておいて貰いたい。 「虫も樹も」

井筒俊彦

元来、禅の立場から見ますと、人間はどうも喋りすぎる。つまり生れつきお喋りなのです。 ただし禅の立場からして一番大切なのは、人間がただやたらに喋りたがる性質をもっているという点にあるのではなくて、喋ること、言語を使うことによって知らず知らずの…

ニーチェ

「わたしは身体であり魂である」――これが幼な子の声なのだ。なぜ、ひとは幼な子のように語ってはいけないのか?さらに目ざめた者、識者は言う。わたしはどこまでも身体であり、それ以外の何物でもない。そして魂とは、たんに身体における何物かをあらわす言葉に…

ハイエク

経済学の興味深い課題は、自分たちは設計できると考えているものについて、実際には人間がほとんど何も知らないということを人びとに論証するのである。 『致命的な思い上がり』

ラッセル

幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである。 『幸福論』

鴨長明

人を頼めば、身、他の有(ゆう)なり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世に従へば、身苦し。従はねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなる業(わざ)をしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。 『方丈記』 関連:http://hi…

吉田兼好

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと…

アダム・スミス

それでは、人びとのさまざまな身分のすべてにわたっておこなわれている競争は、どこから生じるのであろうか。そして、自分たちの状態の改善とわれわれがよぶ人生の大目的によって、意図する諸利益はなんであろうか。観察されること、注目されること、同感と…