2010-01-01から1年間の記事一覧

本居宣長

すべて神とは、古の御典等にみたる、天地のもろもろの神たちを始めて、そのまつれる社に坐す御御霊をも申し、また、人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐい、海山など、その余り、何にまれ尋常ならず、すぐれたる徳のありて、かしこき物をカミとは云う。すぐ…

鴨長明

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 『方丈記』

神モーゼに言いたまいけるは、「われはわれなる者なり」 『出エジプト記、三章』

フィヒテ

統治を不用とするのが、すべての統治の目的である。 「学者の使命についての教論」

パスカル

われわれは、自分のなか、自分自身の存在のうちでわれわれが持っている生活では満足しない。われわれは、他人の観念のなかで仮想の生活をしようとし、そのために外見を整えることに努力する。われわれは絶えず、われわれの仮想の存在を美化し、保存すること…

佐藤勝彦

「神は我らの宇宙を創造する前に何をされていたのか?」、聖アウグスチヌスは「何もされてなかったのだ。」と答えたというが、もし私に聞かれれば、「神はずっと宇宙を作り続けていたのだ。」と答えるであろう。 「宇宙の創生とウロボロスの図」

ヤスパース

人間存在の形成は、特定の信仰内容にかかわりなく、西洋でもアジアでもあらゆる人間にとっても、経験的に必然的で理解可能な認識とはならないが、それでも経験的理解に基づいて納得しうるような様式で行われたものであろう。この世界史の軸は、はっきりいっ…

吉田松陰

かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂

金子みすず

わたしが両手をひろげても、 お空はちっともとべないが、 とべる小鳥はわたしのように、 地面(じべた)をはやくは走れない。 わたしがからだをゆすっても、 きれいな音はでないけど、 あの鳴るすずはわたしのように たくさんのうたは知らないよ。すずと、小…

大森荘蔵

哲学は語るものであって歌うものではない。 『新視覚新論』

岡潔

人の中心は情緒である。情緒は民族の違いによっていろいろな色調のものがある。たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。 私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよ…

内村鑑三

人間の宗教は、人生の人間自身による解釈であります。人生になんらかの解釈を与えることは、このたたかいの世に安心して生活するためには、ぜひとも必要なものなのです。 『代表的日本人』

正岡子規

余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。 「病林六尺」

良寛

災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候。 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2013/08/31/172324 http://hideasasu.hatenablog.com/entry/20110130/p1

孔子

鬼神を敬して之を遠ざく。知というべし。 『論語』

荘子

吾、我を喪う 『荘子 斉物論編』

道元

仏道を習うというは、自己を習うなり。 自己を習うというは、自己を忘るるなり、自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり。 万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心を脱落せしむるなり。 『正法眼蔵』「現成公案」

伝道の書

知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す。

養老孟司

意識は秩序活動だ。 『無思想の発見』

パスカル

理性の最後の一歩は、理性を超える事物が無限にあるということを認めること。 『パンセ』

僧璨

智者は無為なり、愚人は自縛す。 賢者は目的を求めて努力しない。愚者は目的を求めるために己を縛る。 『信心銘』

モーム

賢者は人間の歩みを一行にまとめて口頭で王に伝えた。曰く、人は生まれ、苦しみ、死ぬ。 『人間の絆』

湯川秀樹

現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。現実は予想出来ぬ豹変をする。あらゆる平衡は早晩打破せられる。現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。 それにもかかわらず現実はその根底において、常に簡単な法則に従って動いているのである。達人…

シラー

心の告げることを信ぜよ、 天よりの保証はすでになし。 『願望』

何せうぞ くすんで 一期の夢よ たゞ狂へ 『閑吟集』

ソクラテス

(…)国家に行われる多くの不正と不法とを阻止せんとする者は、何人といえどもその生命を全くすることが出来ないであろう、むしろ、本当に正義のために戦わんと欲する者は、もし彼がたとえしばらくの間でも生きていようと思うならば、かならず私人として生活…

荘子

むかし、荘周は自分が蝶になった夢を見た。楽しく飛びまわる蝶になりきって、のびのびと快適であったからであろう。自分が荘周であることを自覚しなかった。ところが、ふと目がさめてみると、まぎれもなく荘周である。いったい荘周が蝶となった夢を見たのだ…

ジャック・リゴー

生きる理由はないが、また、死ぬ理由もない。 人生への軽蔑を示すべく、我々に残された唯一の方法は、それを受け入れることである。 人生は、苦労して捨てるほどの価値もない。 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2013/08/29/183652

埴谷雄高

まことそこに偽りなくしてなんらの論理もあり得ない。 『不合理ゆえに吾信ず』

ニーチェ

錯乱は個人の場合は例外であるが、団体・党派・民族・時代の場合は通例である。 『善悪の彼岸』