2013-12-01から1ヶ月間の記事一覧

池谷裕二

つまり自分の心を自分の心で考えるのはリカージョンだよね。リカージョンは、原理的には、無限に入れ込むことができるけど、でも、それを行う場であるワーキングメモリは、残念ながら、有限なんだ。だから、リカージョンはすぐに飽和しちゃう。自分の心を考…

ゴータマ・シッダールタ

生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。 『ブッダのことば―スッタニパータ』

池谷裕二

おそらく、進化の過程で、動物たちは他者の存在を意識できるようになった。そして次のステップでは、その他者の仕草や表情を観察することによって、その行動の根拠や理由を推測することができるようになった。他者の心の理解、これが社会性行動の種になって…

唐木順三

(…)一切捨棄、理性のはからいの捨棄、自己捨棄、意識捨棄、捨棄の捨棄というところまで徹底すれば、即ち、無我、無心というところへ超出すれば、その世界は案外に、リズムをもった、美的な、調和ある、いわばポエジイの世界ではないか(…) 『無常』

荘子

上古の真人は、生を喜ぶことを知らず、死を憎むことも知らなかった。この世に生まれ出ることを喜ぶでもなく、死の世界に入ることを拒むこともない。ただ悠然として行き、悠然として来るだけである。生の始めである無の世界を忘れることはないが、さりとて生…

荘子

すべてを無差別に肯定する立場からみれば、生だけを喜ぶことが惑いでないとは、どうしていえよう。逆に、死を憎むことは、あたかも幼いときに故郷を離れたものが故郷を忘れたのと似てはいないだろうか。 『荘子』(斉物論編)/森三樹三郎『老子・荘子』より…

中村圭志

西欧では、近代におけるプロテスタントの出現以前から、人びとがある種の「自我意識の芽生え」を経験していたかのようです。中世後期のカトリック教会では、司祭様に対して罪の告白を行なう儀礼(いわゆる懺悔)が制度化されました。これはたぶん人びとを内…

V.E.フランクル

単に翻弄されるものであるという圧倒的な感情、自らの運命を演じるというより運命のなるままになるという原則、これらすべてとさらに収容所内の人間を支配する深刻な無感覚とは、彼があらゆるイニシアティーヴを避けようとし、決断を怖れることを理解せしめ…

玄侑宗久

禅の弱みでもあるのだが、未来を批評的に観測してどれかを選ばなければならない場合、禅はほとんどその基準を提供してくれない。ただ選んで決断したことに対する覚悟は、また同じように禅的に作ればいいのである。これはつまり、たとえば戦争をすべきかどう…

細川景一

うららかな春の日ざしは山にも川にも、野にも町にも、貧者の茅屋(ぼうおく)にも富者の金殿(きんでん)にも、一様に降りそそぎ、少しも高下、厚薄(こうはく)はありません。まったく一様にして平等です。しかし、よく見れば、花といっても梅の花もあれば、桜の…

ライプニッツ

じっさいどのモナドも、他のすべてのモナドと、たがいにかならず異なっている。自然のなかには、二つの存在が、たがいにまったく同一で、そこに内的なちがい、つまり内的規定にもとづいたちがいが発見できないなどということは、けっしてないからである。 『…

丸山真男

本当に「おそれ」なければならないのは、議会否認の風潮ではなくて、議会政治がちょうどかつての日本の「國體」のように、否定論によってきたえられないで、頭から神聖触るるべからずとして、その信奉が強要されることなのです。およそタブーによって民主主…

丸山真男

むしろより厄介なのは、これまで挙げた政治の例が示しているように「『する』こと」の価値に基づく不断の検証がもっとも必要なところでは、それが著しく欠けているのに、他方さほど切実な必要のない面、あるいは世界的に「する」価値のとめどない侵入が反省…

オルテガ

大衆とは、よい意味でも悪い意味でも、自分自身に特別な価値を認めようとせず、自分は、「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人びとと同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。 『大衆の反逆…

西田幾多郎

自然と文化とは相反するものではない、自然は文化の根である。深い大きな自然を離れた人為的文化は頽廃に終るの外はない。大きな一枚の大理石から彫み出された様な文化であつてほしい。我々はいつも眼の前にちらつく人為的文化にのみ憧れる必要なはない、深…

宮台真司

「するも選択、せざるも選択」というポストモダン社会の再帰性は、社会の底が抜けた状態なので「不安」を惹起しがちになり、選択の前提となる自明性が消えるので「正統性の危機」が起こりやすくなります。(…)また、そうした社会では、何もかもが――不作為で…

ウルリッヒ・ベック

労働に参加するには教育を受けることが必要であり、労働への参加も教育への参加も、社会移動と、容易に社会移動ができる態勢を前提条件にしている。これらの条件はすべて、人が進んで自分自身を一個人として組み立てていくことを、つまり、個人として計画し…

永井均

「(…)翔太、きみはニヒリズムって言葉を知っているかい?」「知ってるよ。すべては無意味だっていう思想でしょ? だから、生きていることなんか意味がないって。」「むしろ逆だな。ニヒリズムっていうのはね、すべてには意味しかないっていう考えのことな…

堂目卓生

スミスは、真の幸福は心が平静であることだと信じた。そして、人間が真の幸福を得るためには、それほど多くのものを必要としないと考えた。(…)たいていの人にとって、真の幸福を得るための手段は、手近に用意されているのだ。与えられた仕事や義務、家族と…

小林秀雄

政治の地獄をつぶさに経験したプラトンは、現代知識人の好む政治への関心を軽蔑はしないだろうが、政治への関心とは言葉への関心とは違うと、繰返し繰返し言うであろう。政治とは巨獣を飼い慣らす術だ。それ以上のものではあり得ない。理想国は空想に過ぎな…

宮台真司

ニヒリストとは、ロマンチストの裏返しです。意味を求めてあくせくしてきた人が、「けっ、しょせん意味なんかネエんだよ」と斜に構えてカタルシスを獲得する。これがニヒリストです。意味からの自由を唱えた十九世紀のニーチェも、こうした輩を、「最も意味…

ジョン・ロールズ

格差原理とは、いわば個人に分配された天賦の才を全体の資産を見なし、それらの才能が生みだした利益を分かち合うことに関する同意だ。天賦の才に恵まれた者は誰であれ、そのような才を持たない者の状況を改善するという条件のもとでのみ、その幸運から利益…

ジョン・ロールズ

社会のどこに生まれるかを自分では決められないように、生来の資質も自分では決められない。能力を開花させるために努力するという優れた性質を備えているからと言って、それは自分にその価値があるからだと考えるのも問題だ。このような性質は、恵まれた家…

長谷川英祐

生き物の基本的関係は食う・食われるの関係です。光合成で光のエネルギーを活動エネルギーに変換できる植物と異なり、動物は自分でエネルギーをつくりだすことができず、体外からエネルギーを取り入れなければなりません。これが食べるという行為です。 『働…