V.E.フランクル

単に翻弄されるものであるという圧倒的な感情、自らの運命を演じるというより運命のなるままになるという原則、これらすべてとさらに収容所内の人間を支配する深刻な無感覚とは、彼があらゆるイニシアティーヴを避けようとし、決断を怖れることを理解せしめるのである。収容所生活において決断は存したが、それは突然決められねばならぬ決断であり、存在と非存在とに関する決断であった。囚人にとっては運命が決断せねばならないことを取り去ってくれるのが一番よいのであった。この決断からの逃避は、囚人が逃亡すべきかどうか決めなければならない時に最も明らかに観察された。彼がかかる決断をしなければならぬ数分の間――いつも数分が問題であった――彼は心の内で地獄の苦しみを体験するのだった。すなわち逃亡を試みるべきか、止めるべきか? 危険を犯すべきか、避けるべきか? 私自身も内的に緊張に満ちたこの地獄の火を体験した。

 『夜と霧』(霜山徳爾訳)