中村圭志

西欧では、近代におけるプロテスタントの出現以前から、人びとがある種の「自我意識の芽生え」を経験していたかのようです。中世後期のカトリック教会では、司祭様に対して罪の告白を行なう儀礼(いわゆる懺悔)が制度化されました。これはたぶん人びとを内省的にしたと思われます。悪いことをしたからごめんなさいというばかりではなく、悪とは何か、自分はいかに悪に弱いか、そういうことを神経質に分析する傾向が育っていったわけです。このような流れのなかで、やがて自我意識のほうが宗教的な教えよりも前面に立つ、近代的な「人間」というものが生まれていったように思われます。ルネサンスというのもこうした流れの一環であり、プロテスタント宗教改革というのもその一現象面と言うべきかもしれません。結局、西欧ではやがて個人の理性を前面に押し出した啓蒙主義の時代を迎え、「宗教」そのものが抑制されていきます。

『信じない人のための〈宗教〉講義』

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