2013-12-24から1日間の記事一覧

荘子

上古の真人は、生を喜ぶことを知らず、死を憎むことも知らなかった。この世に生まれ出ることを喜ぶでもなく、死の世界に入ることを拒むこともない。ただ悠然として行き、悠然として来るだけである。生の始めである無の世界を忘れることはないが、さりとて生…

荘子

すべてを無差別に肯定する立場からみれば、生だけを喜ぶことが惑いでないとは、どうしていえよう。逆に、死を憎むことは、あたかも幼いときに故郷を離れたものが故郷を忘れたのと似てはいないだろうか。 『荘子』(斉物論編)/森三樹三郎『老子・荘子』より…

中村圭志

西欧では、近代におけるプロテスタントの出現以前から、人びとがある種の「自我意識の芽生え」を経験していたかのようです。中世後期のカトリック教会では、司祭様に対して罪の告白を行なう儀礼(いわゆる懺悔)が制度化されました。これはたぶん人びとを内…

V.E.フランクル

単に翻弄されるものであるという圧倒的な感情、自らの運命を演じるというより運命のなるままになるという原則、これらすべてとさらに収容所内の人間を支配する深刻な無感覚とは、彼があらゆるイニシアティーヴを避けようとし、決断を怖れることを理解せしめ…

玄侑宗久

禅の弱みでもあるのだが、未来を批評的に観測してどれかを選ばなければならない場合、禅はほとんどその基準を提供してくれない。ただ選んで決断したことに対する覚悟は、また同じように禅的に作ればいいのである。これはつまり、たとえば戦争をすべきかどう…