2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

志賀直哉

夢殿の救世観音を見ていると、そこには作者の名のようなものは、全く浮かんでこない。それは作者から遊離した存在なのである。文学の上で、そんな仕事ができるものがあったら、それに自分の名などかぶせようとは思わない。 『座右宝』

戴益

盡日春を尋ねて 春を見ず 杖藜踏み破る 幾重の雲 歸り來りて試みに 梅梢を把って見れば 春は枝頭に在りて 已に十分 「春を探る」 http://is.gd/crvrQ

老子

故に有と無と相い生じ、難と易と相成り、長と短と相い形われ、高と下と相い傾き、音と声と相和し、前と後と相い随う。 是を以って聖人は、無為の事に処り、不言の教えを行なう。 『老子道徳経』

西脇順三郎

やっぱり脳髄は淋しい 実に進歩しない物品である 「体裁のいい景色」

小林秀雄

理想に捕えられ、のたれ死にまで連れて行かれたトルストイは、理想の恐ろしさをよく知っていた。彼の定義に従えば、理想とは達する事の出来ぬものだ、達せられるかも知れぬ様な理想は、理想と呼ぶ様な価値はないのである。 『近代絵画』

トルストイ

幸福な家庭というものは、どれもこれも互いに似たようなものだが、不幸な家庭の不幸は、それぞれ趣きを異にしている。 『アンナ・カレーニナ』

ニーチェ

結局のところ、人間はおのれの欲望を愛して、欲望されたものを愛しているのではない。 「箴言と間奏曲」/『善悪の彼岸』

ランボー

わたしというのは一人の他人です。自分をヴァイオリンと思い込んでいるとうへんぼくなどお生憎さま、皆目知りもしないことについて御託を並べたてる無自覚な連中など糞食え! 『ランボオの手紙』 関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/05/29/01…