ポエジー

小林秀雄

ランボオという奇怪なマテリアリストは、主観的なものに何んの信も置かなかった。彼には抒情詩というものは一向興味を惹かなかった。彼の全注意力は、客観物とこれに触れる僕等の感覚の尖端にいつも注がれていた。どの様な思想の形式も感情の動きも、自律自…

トルストイ

どうして俺は今までこの高い空を見なかったんだろう? 今やっとこれに気がついたのは、じつになんという幸福だろう。そうだ! この無限の空以外のものは、みんな空(くう)だ、みんな偽りだ。 『戦争と平和』(一)

見田宗介

〈消費〉のコンセプトの最も徹底した、非妥協的な追求者であったバタイユは、やがてこの〈消費〉の観念の肯定形の転回ともいうべき形式であると同時に、それ自体としていっそう原的な根拠であり地平であるものの表現として、〈至高なもの〉 La souveraineté …

西脇順三郎

ポエジイの世界はそうした絶対の世界である。ポエジイの世界は有でもなく無でもない。また否定でもなく肯定でもない世界である。また有であると同時に無であり、否定であると同時に肯定である。ポエジイの世界は無限の世界であって、有限の世界を拒否するこ…

小林秀雄

マラルメはランボオを語り、ランボオが詩にもヨオロッパにも別れを告げるところに来て、こんな事を言う。「ここに不思議な時期が来る。尤も、次の事を認めるなら、何も不思議ではないのだが。自分の方が間違っていたか、それとも夢の方に誤りがあったか、い…

ランボー

また見附かった、何が、永遠が、海と溶け合う太陽が。独り居の夜も燃える日も心に掛けぬお前の祈念を、永遠の俺の心よ、かたく守れ。人間共の同意から月並みな世の楽しみからお前は、そんなら手を切って、飛んで行くんだ……。――もとより希望があるものか立ち…

唐木順三

(…)一切捨棄、理性のはからいの捨棄、自己捨棄、意識捨棄、捨棄の捨棄というところまで徹底すれば、即ち、無我、無心というところへ超出すれば、その世界は案外に、リズムをもった、美的な、調和ある、いわばポエジイの世界ではないか(…) 『無常』