池谷裕二

つまり自分の心を自分の心で考えるのはリカージョンだよね。リカージョンは、原理的には、無限に入れ込むことができるけど、でも、それを行う場であるワーキングメモリは、残念ながら、有限なんだ。だから、リカージョンはすぐに飽和しちゃう。
自分の心を考える自分がいて、でも、そんな自分を考える自分がさらにいて、それをまた考える自分がいて……とね。そんなふうに再帰を続ければ、あっという間にワーキングメモリは溢れちゃうよ。そうなったら、精神的にはアップアップだ。だからこそ「心はよくわからない不思議なもの」という印象がついて回ってしまう。
でも、その本質はリカージョンの単純な繰り返しにすぎない。脳の動作そのものは単純なのに、そこから生まれた「私」は一見すると複雑な心を持っているように見えてしまう。ただそれだけのことではないだろうか。
だから、自分の心を不思議に感じるという、その印象は、いわば自己陶酔に似た部分があって、それ自体は科学的にはさほど重要なことではない。単にリカージョンの罠にはまっただけだ。

『単純な脳、複雑な「私」』

太字=原文傍点

 

関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entries/2015/01/26
http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/05/20/225703
http://hideasasu.hatenablog.com/entry/20121004/p1