丸山真男

本当に「おそれ」なければならないのは、議会否認の風潮ではなくて、議会政治がちょうどかつての日本の「國體」のように、否定論によってきたえられないで、頭から神聖触るるべからずとして、その信奉が強要されることなのです。およそタブーによって民主主義を「護持」しようとするほどこっけいな倒錯はありません。タブーによって秩序を維持するのは、古来あらゆる部族社会――「である」社会の原型――の本質的な特徴にほかならないのです。

『「である」ことと「する」こと』