井筒俊彦

元来、禅の立場から見ますと、人間はどうも喋りすぎる。つまり生れつきお喋りなのです。

ただし禅の立場からして一番大切なのは、人間がただやたらに喋りたがる性質をもっているという点にあるのではなくて、喋ること、言語を使うことによって知らず知らずのうちに、その言語が意味論的に押しつけてくる特別な「現実」の範疇化の枠に心の動きがはまってしまうということであります。そしてそのことは、禅にとっては、ただちに人間の実存的自由の喪失を意味するのです。

 「対話と非対話」/『意識と本質』

 

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