玄侑宗久
あらゆる命はたえず無限の関係性のなかで変化しながらいろんな形に展開していくだけ。そのグラデーションの、境目のない変化の波の特定のポイントを「誕生」とか「死」と呼ぶのは、物事を固定化したがる脳の仕業ということです。
そう考えると、「生まれた」という認識も「滅した」という認識もありのままの実相ではなく、じつは脳内に現象した大雑把な「概念」に過ぎません。解けないほどに絡み合った関係性を、とりあえず無視してザックリ切った認識と見るしかないのです。
概念の怖いところは、それが常に主観の理解しやすい鋳型に実相を無理矢理収めてしまうこと、またそれによって比較できないものを比較せしめ、ときに競争するための尺度を提供することです。
『現代語訳 般若心経』