エーリッヒ・フロム

人間と自由との根本的な関係について、とくに雄弁に語っているのは、人間の楽園追放という聖書の神話である。
神話も人類の歴史のはじまりは、選択という行為にあるといっている。しかし、神話はこの最初の自由な行為が、どんなに罪深いものであり、またその結果生ずる苦悩が、どのようなものであるかをとくに強調する。男と女とはエデンの花園において、おたがい同士、また自然とも、まったく調和して生活している。そこは平和の楽園であって、働く必要もないし、選択も自由も思考もない。人間は善悪の知恵の木の実を食べることを禁じられている。ところがかれは神の命令に背いて行動する。自然を超越することなく自然の一部となっていた調和の世界を破壊する。権威を代表した教会の立場からは、これは本質的に罪である。しかし人間の立場からは、これは人間の自由のはじまりである。神の命令に反逆することは、強制から自己を解放し、前人間的生命の無意識的な存在から、人間の水準へとぬけだすことである。権威の命令に反抗し罪を犯すことは、積極的な人間の立場からいれば、自由の最初の行為であり、最初の人間的な行為である。

『自由からの逃走』(p.43-44)

強調原文

 

関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2013/11/13/020903
http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2014/05/01/231021