山形浩生

ぼくは反知性主義というのは世界において普遍的なものだと思っている。そうした動きは、どんな宗教にも、いやどんな文化文明にも存在する。たとえば浄土宗や浄土真宗は、真言密教を筆頭に「中国でお勉強してきました」エリート仏教に対する一つの反動だ。これはまさに、反知性主義的な動きではある。

 

大室幹雄は、それがたとえば中国文明の歴史を貫く対立だと指摘している。小邑複合と大同複合。複合とは、英語でいえばコンプレックス。小邑は、秩序と体系に基づく統治の原理だ。その筆頭が孔子だ。孔子は礼節とか言うけれど、それは新聞に投書したがる説教じじいが思ってるような、みんなが礼儀正しくしましょう、マナーを守りましょう、というようなあまっちょろい話ではない。儀式の体系を通じて人間の身体をおさえこみ、為政者が人民を支配するための原理だ。そして西洋でいえば、それはユートピア原理だ。一般に、ユートピアはほんわかした理想の世界と思われているけれど、実際にトマス・モア『ユートピア』を読んだ人なら、それがまったくちがうものだというのを知っているはず。法律、規制、規律、階級、費用便益に基づく、ガチガチの軍事管理社会が「ユートピア」だ。

 

そしてそれに対するのは、大同複合。老子に代表される、何の決まりもなくほわーんと人が自然の懐に抱かれて暮らしていることで、何も知らないでも大いなる道の叡智が導いてくれる。小賢しい人為的な礼節とか決まりとか知識とかいらないよ、という立場。

 

ちなみに加地伸行こと二畳庵主人は、こういうほわーんとした道教理解をけなして、老子荘子の「道」も、「そういう原理があるんだからおめーらその通りに動け!」という高圧的な統治原理なのである、と述べていた。確かZ会の漢文教科書でのことだった。ポルノ漢文が?、という話はここでは割愛。たぶん、そういう面はあるんだろう。ただここは厳密な老子解釈よりは、思想的な類型の話なのでとりあえずおいといてや。

 

母性原理的な これは西洋では、アルカディア原理となる。これはまさに、反知性主義の依って立つ考え方となる。ぼくは世界のどの文明にも、多かれ少なかれこうした知性と秩序の立場と、それに反発する反知性主義の動きはあると思っている。

反知性主義2:森本『反知性主義』:ホフスタッターの当事者意識や切実さはないが概説書としてはOK

 

参考:天下に始有り、以って天下の母と為すべし(老子)

地母神 - Wikipedia