曽根宣雄

釈尊は、小国の王子としてお生まれになり、楽しみに満ちあふれた生活を送られたのですが、快楽の生活を否定し、29歳で出家されます。その後、6年間に渡って厳しい修行に励まれ、最後は断食行を行い命を落としかけます。その時にスジャータという女性から乳粥を施され、一命を取り止め、その後、菩提樹の下で瞑想をして悟りを得られます。ですから、仏教では、「快楽主義」も「苦行主義」も否定し、不苦不楽の「中道」ということを説きます。「中道」とは、両極端を離れるということです。

 

私は、法然上人の浄土宗開宗のことを考える時、どうしても釈尊のお悟りのことに思いが及んでしまいます。真摯に修行し、周りからは「智慧第一」「持戒清浄」と言われながらも、自らは悟りを得られずに葛藤され、精神的に精一杯の状態にあった法然上人。その法然上人は、善導大師の『観経疏』の一心専念の文によって浄土宗を開宗されます。そのお念仏の教えとは、決して自らを厳しく律して行かなければならない、難行苦行の教えではありませんでした。

 

法然上人以前の仏教は、自らを厳しく律し、悟りを求めるものでした。それに対して法然上人は、凡夫に実践可能なお念仏の教えこそが、阿弥陀仏が示してくださっているものであるという確信を得られたのです。

 

私には、「難行苦行を捨て去り、スジャータの施しを受け、悟りを開いた釈尊」と、「従来の教えを真摯に実践したものの結果を得られず精神的に一杯一杯になり、善導大師のお導きによって、浄土宗を開宗された法然上人」がだぶって見えてしまうのです。つまり、そこには自らを厳しく律し続けてゆく方向からの転換が見られるということなのです。

 

釈尊は「快楽主義」も「苦行主義」も否定する「中道」の立場を琵琶の弦に譬えられました。弦がゆるければ良い音色は出ず、弦をしめすぎれば切れてしまいます。調度程良い加減の時に最も良い音色が出るのです。

 

法然上人のお念仏の教えは、一握りの人のみが実践可能な難行苦行ではく、すべての人々に通じる教えです。私には、法然上人がお説きになられたお念仏の教えこそが、「快楽主義」も「苦行主義」をも否定する「中道」教えに最も適ったものであるように思えてならないのです。

「浄土宗開宗の意義 (中道の教えと浄土宗の教え)」