三宅陽一郎

人工知能」ほど、定義の曖昧な分野はありません。なぜなら、その定義は「知能とは何か?」という問いとまっすぐに結びついているからです。そして、その哲学的にも深い問いはいま、誰も明確に答えることはできません。

人工知能は、自分で問題を設定することも、新しく問題をつくり出すこともできず、人間から与えられた課題と条件のなかで運動する力しかありません。問題と条件を与えるのは人間なのです。

 

一方、なぜ今回の人工知能がこれほど期待と不安があるかと言うと、知能というわれわれ自身のアイデンティティに関わる部分にマシン(=人工知能)が入り込んできたからです。この不安のなかには仕事と同様、自分自身の存在意義や、人間としてのアイデンティティ、能力に対するアイデンティティの問題があります。人工知能は知らずに人間の立場を脅かしているのです。

 

8桁同士の掛け算を瞬時にできる人間は滅多にいませんし、10万行のテキストの中から瞬時で必要な単語のある行を抜き出すことも人間にはできません。人工知能にはそれができます。情報空間の決められたレースに勝つためにつくられた人工知能です。

 

しかし、人工知能には、そのレースそのものを自分自身でつくり出すことはできません。人工知能は、自分で問題を設定することも、新しく問題をつくり出すこともできず、人間から与えられた課題と条件のなかで運動する力しかありません。問題と条件を与えるのは人間なのです。

 

この問題と条件のことを「フレーム」と言います。「フレーム」は人間が設定し、人工知能は「フレーム」のなかで考えます。「フレーム」を柔軟に変化させて考えるのは人間の力で、人工知能にはその力はほとんどありません。一見、柔軟に見えるディープラーニングさえ、問題の設定を超えることはありません。

 では、有効な人工知能と労働の関係とは何でしょうか。そこには、日本の少子化問題は深く関わってきます。アメリカではこれからも労働人口が増加しますが、日本ではすでに労働人口の減少が始まっています。つまり、これまでのシステムを維持しながら社会発展を続けるには、人工知能と協働して、社会をより少ない労働人口でも維持できる形に変化させる必要があります。ですから少子高齢化する日本に関していえば、「人工知能に仕事を奪われる」どころか「人工知能に仕事をさせる」ことが必要な社会が、世界のあらゆる国に先駆けて到来するのです。

IT、都市、ヘルスケア、あらゆる領域で人工知能と人間が共創する未来

 

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