高間大介

私たちの祖先はもともと、客観的に世界を眺めていたことなど、ほとんどなかったはずだ。そこに危険が潜んでいないか、利益をもたらすモノはないか、切実に眺めていたほうがはるかに多かったにちがいない。脳も当然、その用途に適すものになっているということなのだ。

私たちはつねに意味を付与する存在に生まれついている。そこからは逃れられない。単に見ているだけのつもりでも、脳のなかではさまざまなプロセスが同時並行して動いている。意味を付与しようというプロセスが働いているかと思えば、その一方でほかの意味を探すプロセスも勝手に働きはじめているのだ。

『人間はどこから来たのか、どこへ行くのか』