本居宣長

老子の自然とまをすは、真の自然に候はず、実は儒よりも甚だしく誣たる物に候なり。若し真に自然を尊み候はば、世の中は如何様に成行共、成行ままに任せて有べきことに候へ。儒の行はるるも、古への自然のそこなひ行も、皆天地自然のことなるべきに、それをあしとて、古への自然をしひるは、返りて自然にそむける強ごとに候なり。此故に其流れをくむもの、荘周など始めとして、自然に尊むといひて、其いふこと、することは、皆自然にあらず。作りごとにて、ただ世間にたがひて異様なるを悦び、人の耳目をおどろかすのみなり。

『鈴屋答問録』