阿部謹也

(…)「徒然草」の吉田兼好から西鶴、そして漱石に至るまで、わが国の文学の世界はいかに多くを一種の「隠者」に負うてきたことだろう。隠者とは日本の歴史の中では例外的にしか存在しえなかった「個人」にほかならない。日本で「個」のあり方を模索し自覚した人はいつまでも、結果として隠者的な暮らしを選ばざるをえなかったのである。

『「世間」とは何か』