表現

小林秀雄

ロシアの十九世紀文学ほど、恐ろしく真面目な文学は、世界中にありません。文学は書かれたというより、むしろインテリゲンチャによって文字通り生きられた。人間如何に生くべきかという文学の中心動機だけが生きられた、と言った方がよい。ゴーゴリとかトル…

東浩紀

思想や文学に社会的に与えられている役割は、そもそもがある種のロマンティシズムの提供だからなんですよ。それを自ら封じ込め、禁じ手だらけでやってきたのがゼロ年代なんだよね。 愛とは何か、家族とは何か、人が生きるとは何か、こういうのはもともと思想…

ランボー

詩人は、あらゆる感覚の、久しい、際限の無い、合理的な錯乱によって見者となるのである。あらゆる形式の恋愛と苦悩と狂乱。彼は、己れ自身を探求する、己れの裡にある一切の毒を汲み尽くして、その精髄だけを保存する。言いようのない苦悶、――その中で、彼…

埴谷雄高

私個人ついていえば、私は『大審問官』の作者から、文学が一つの形而上学たり得ることを学んだ。そして、その瞬間から彼に睨まれたと言い得る。私は彼の酷しい眼を感ずる。絶えざる彼の監視を私は感ずる。ただその作品を読んだというだけで私は彼への無限の…

フローベール

極度に集約された思想は詩に変ずる (小林秀雄「作家の顔」より孫引き)

三島由紀夫

「僕の思念、僕の思想、そんなものはありえないんだ。言葉によって表現されたものは、もうすでに、厳密には僕のものじゃない。僕はその瞬間に、他人とその思想を共有しているんだからね」 「では、表現以前の君だけが君のものだというわけだね」 「それが堕…

吉野寿

選ばれた者だけが理解できる「芸術」。 そんな「お芸術」なら俺には必要無い。 本物の表現は理屈を飛び越えて無条件で胸に迫って来るはずなんだ。選民意識のつまらなさ、滑稽さ。 (「 天沼メガネ節」 http://www.yoshino-seisakujyo.com/meganebushi/2007/0…

埴谷雄高

何故書くかという問いに私は容易に答え得ぬ。私にとってその文学は一般から非常にずれた妄想の延長上にあるのだから。けれども、何故妄想するかとさらに問われるならば、私は比較的気が楽になり直ちに答えを返し得る。内的自由の追求――と。 (「何故書くか」…

セザンヌ

現実の全体がそのまま欲しい・・・そうでないと、私の頭の中には先入観の型があり、真実をそこに当てはめて写すことになってしまう。そうではなく、私は私自身を真実の上当てはめて写したいのだ。私、それは何だろうか。真実の魂に到達すること。真実をある…