真木悠介

現在が未来によって豊饒化されることはあっても、手段化されることのない時間、開かれた未来についての明晰な意識はあっても、そのことによって人生と歴史をむなしいと感ずることのない時間の感覚と、それを支える現実の生のかたちを追求しなければならない。われわれがもはやたちかえることのできない過ぎ去った共同態とはべつな仕方で、人生が完結して充足しうる時間の構造をとりもどしえたときにはじめて、われわれの時代のタブー、近代の自我の根柢を吹きぬけるあの不吉な影から、われわれは最終的に自由となるだろう。

『時間の比較社会学』

 

参照:http://stepsgallery.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-da0e.html