福沢諭吉

およそ人間に不徳の筒条多しといえども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし。貪吝、奢侈、誹謗の類はいずれも不徳のいちじるしきものなれども、よくこれを吟味すれば、その働きの素質において不善なるにあらず。これを施すべき場所柄と、その強弱の度と、その向かうところの方角とによりて、不徳の名を免るることあり。

右のほか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、わが有様を進めて満足するの法を求めずして、かえって他人を不幸に陥れ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。

『学問のすすめ』(十三編 怨望の人間に害あるを論ず)

 

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