アンドリュー・パーカー

覚えておかねばならないのは、先カンブリア時代に、眼の獲得レースが開始の時を待っていたわけではないということである。進化は、そんなふうには起こらない。そういう、目的論的な見方は間違っている。そうではなく、ある日、ルールを変えてしまうような何かが、環境中にもたらされたのだ。そのとたん、淘汰圧の方向か規模が変わった。進化は、適応放散によって進む。その原因は、たいてい、環境における仕様書の変更である。英国の進化生物学者ジョン・メイナード・スミスは、その著書『進化の理論』において、「進化の方向が逆行したり変化したりするのは、たいていの場合、そこの環境を利用する方法が変化したことを受けてのことである」と述べている。いずれにしろ、眼の出現をしのぐほどの環境の変化などなかったし、それは目の見えない動物にとっても重大な変化だった。現在、視覚をそなえているのは三八ある動物門のうち六門にすぎないが、全動物種の種を見渡すと、じつに九五パーセント以上の動物種が眼をそなえている。この事実を見ても、眼は環境を利用するうえで重要な方法であることがわかる。

地球の歴史を眼の出現前と出現後に二分したうえで、現在の動物にとってもっとも強力な淘汰圧になっている視覚の威力を考えると、視覚が誕生した日は、生命史を画す記念碑的な出来事と言わざるをえない。カンブリア紀の爆発のことはしばし忘れるにしても、視覚の出現、すなわち最初の開眼は、生物の生き方にとって、とりわけ動物の外部形態に関して、著しい変化をひきおこしたはずなのだ。この誕生日と、動物が爆発的な進化を開始した日が一致するのは、単なる偶然とは思えない。

 『眼の誕生』(p.362-363)

 

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