オルダス・ハクスリー

今では社会は安定している。人びとは幸福だ。欲しいものは手に入るし、手に入れられないものはみんな欲しがらない。人びとは暮らしが楽で安全だ。病気にもならない。死ぬことを恐れもしない。激情や老齢などというものはさいわい知らない。母親や父親に煩わされることもない。妻や子供や恋人などという、はげしい感情の種になるものもない。当然振舞わねばならぬようにしか振舞えないのだ。そのように条件反射訓練を受けているのだ。それでも何かがうまくいゆかないようなときには、ソーマというものがある。

いつでもちゃんとソーマというものがあって・・・事実から逃避させてくれる。怒りを静め、敵と和解させ、我慢づよく辛抱させてくれるソーマがいつも控えている。昔は、大変な努力をし、長年苦しい修養をして、やっとそういうことがやれたのだ。ところが今じゃ、半グラム錠二つ三つ呑み込めば、それで万事めでたしだ。今はだれだって徳高く振舞えるのだ。人は少なくともおのれの道徳の半分だけは壜に入れて持ち歩きできるのだ。

『すばらしい新世界』

 

参照:http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/archive/2006/03/05
関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/03/01/004656