ドストエフスキー

「ああ、アリョーシャ、俺は神を冒涜してるわけじゃないんだよ! やがて天上のもの、地下のものすべてが一つの賞讃の声に融け合い、生あるもの、かつて生をうけたものすべてが『主よ、あなたは正しい。なぜなら、あなたの道は開けたからだ!』と叫ぶとき、この宇宙の感動がどんなものになるはずか、俺にはよくわかる。母親が犬どもにわが子を食い殺させた迫害者と抱き合って、三人が涙とともに声を揃えて『主よ、あなたは正しい』と讃えるとき、もちろん認識の栄光が訪れて、すべてが解明されることだろう。しかし、ここでまたコンマが入るんだ。そんなことを俺は認めるわけにはいかないんだよ。だから、この地上にいる間に、俺は自分なりの手を打とうと思っているんだ。わかるかい、アリョーシャ、そりゃことによると、俺自身がその瞬間まで生き永らえるなり、その瞬間を見るためによみがえるなりしたとき、わが子の迫害者と抱擁し合っている母親を眺めながら、この俺自身までみんなといっしょに『主よ、あなたは正しい!』と叫ぶようなことが本当に起るかもしれない。でも俺はそのとき叫びたくないんだよ。まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己を防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的に否定するんだ。そんな調和は、小さな拳で自分の胸をたたきながら、臭い便所の中で償われぬ涙を流して《神さま》に祈った、あの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!」

「俺だって赦したい、抱擁したい、ただ俺はあらかじめ断わっておくけど、どんな真理だってそんなべらぼうな値段はしないよ。結局のところ俺は、母親が犬どもにわが子を食い殺させた迫害者と抱擁し合うなんてことが、まっぴらごめんなんだよ! いくら母親でも、その男を赦すなんて真似はできるもんか! 赦したけりゃ、自分の分だけ赦すがいい。母親としての測り知れぬ苦しみの分だけ、迫害者を赦してやるがいいんだ。しかし、食い殺された子供の苦しみを赦してやる権利なぞありゃしないし、たとえ当の子供がそれを赦してやったにせよ、母親が迫害者を赦すなんて真似はできやしないんだよ! もしそうなら、もしその人たちが赦したりできないとしたら、いったいどこに調和があるというんだ? この世界じゅうに、赦すことのできるような、赦す権利を持っているような存在がはたしてあるだろうか? 俺は調和なんぞほしくない。人類への愛情から言っても、まっぴらだね。それより、報復できぬ苦しみと、癒やされぬ憤りとをいだきつづけているほうがいい。たとえ俺が間違っているとしても、報復できぬ苦しみと、癒やされぬ憤りとをいただきつづけているほうが、よっぽどましだよ。それに、あまりにも高い値段を調和につけてしまったから、こんなべらぼうな入場料を払うのはとてもわれわれの懐ろではむりさ。だから俺は自分の入場券は急いで返すことにするよ。正直な人間であるからには、できるだけ早く切符を返さなけりゃいけないものな。俺はそうしているんだ。俺は神を認めないわけじゃないんだ、アリョーシャ、ただ謹んで切符をお返しするだけなんだよ」

『カラマーゾフの兄弟』

太字引用者

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