國分功一郎

人は習慣を創造し、新しい環世界を獲得していく。そうすることで周囲をシグナルの体系へと変換する。なぜそうするのかと言えば、ものを考えないですむようにするためである。四六時中新しいものに出会って考えていては生きていけない。
ならば逆に、人がものを考えざるを得ないのは、そうして作り上げてきた環世界に変化が起こったときであろう。つまり、環世界に何か新しい要素が「不法侵入」してきて、多かれ少なかれ習慣の変更を迫られる、そうしたときであろう。

 『暇と退屈の倫理学

 

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