池田晶子

人生が「在る」ということは、だから無意味なのではなく非-意味なのだ。あんまり馬鹿馬鹿しいので禅僧は月を見て笑っている。「諦観」ではない。健康な精神が笑っているのだ。諦めなければならないものなど、はじめからありはしないのに、なぜ嘆くことができるだろう! 救われるも救われないも、問題としてさえ存在し得ないこの場所こそ、「絶対自由」の開けるところだ。しかしこの自由は途方もない。宇宙大であることを覚悟せよ。

『事象そのものへ!』(p.215-216)