石黒浩

人間は動物と違って、技術によって進化します。例えば火は強烈な道具で、ヒトが火を使い始めた時点で、サルとの違いが生まれたとも言えます。要するに、人間は道具を持っていることによって人間になっているわけで、ロボットと人間を比べるのは、人間と技術を切り離すようなことですから、非常にナンセンスなんです。丸裸の人間を、人間と呼べるのかと。

 

もちろん遺伝子レヴェルでも進化をしてきたけれど、同時に、身体的な制約とか肉体的な制約を、むしろ技術によって克服して進化しているのが人間だと思うんです。そういう意味では、死も克服できる対象ではないかと、わたしは思います。 

 

もうひとつ重要な概念が、人間はとても社会的だということです。例えば自分の経験とは、脳が覚えているものすべてではありません。自分が覚えている自分の経験というのは、フィルターがかかっていて、都合のいいことしか覚えていないからです。ではいったい経験はどこにあるのかというと、社会にあるわけで、生きるか死ぬかという部分も、実は社会のなかで決められているところがあるわけです。つまり、社会から忘れられたら死んでいるのと一緒で、だとすると「人の本当の死とは何か」ということになってくると思います。

 

いつまでも忘れられない死がある一方で、3日で忘れる死もある。肉体的に機能が停止することを、現代社会で死と定義づけることに、意味があるのかとさえ思うわけです。壁画でもなんでもいいのですが、そういうパーマネントに記憶を受け継ぐものをつくった瞬間から、死に対する概念は変わっているはずなんです。動物とはまったく違うわけです。それなのに、肉体が死ぬことだけを議論するというのはとてもナンセンスで、すでに人間というのは、死においても動物とは違うということで、人間なわけです。

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