深見浩一郎

1762年、ルソーは著書の中で「いかなる市民も他の市民を金で買うほど豊かであってはならず、またいかなる市民も自らを売らざるを得ないほど貧しくあってはならない(*1)」と新しい平等のあり方を説いた。また、仏革命後公布された人権宣言では、「己の欲せざる所は人に施すなかれ。常に、自分がされたいと思う善事を他者に施すように(*2)」することが謳われた。この自由・平等・博愛の精神が1776年の合衆国独立宣言にも影響していることは、歴史の教科書でもつとに有名である。


だが、今日その米国で、Microsoft創業者のビル・ゲイツと著名な投資家であるウォーレン・バフェットの2人の個人資産の合計、このたった2人の個人資産の合計額が米国国民の所得の低い順に4割の人々の所得合計にほぼ等しいという。およそ1億2000万人である。このことをルソーが知れば、彼はなんと言うだろうか。

近年、税制はフラット化している。この「フラット化」という表現に、すでに経済格差が拡大する仕掛けが隠されている。フラット化する以前、世界の主要国の税制はおしなべて累進的で、税の公正性はそれなりに担保されていた。フラット化とは平準化のことであり、所得への課税だけではなく、資産に対しても傾向は同様である。

 

税の公正性に関する議論において、経済学的なアプローチは二つある。水平的公正と垂直的公正である。

 

水平的公正とは、条件が同一の人々には同一の税を課すことである。これに対して垂直的公正は、所得の大きさに応じて税を応分に負担することを意味する。所得の異なる2人がいるとして、2人が同じ額の税金を払った場合、支払い額が同じで平等だから2人は公平だと言えるだろうか。所得が異なるとき、2人が公平な税負担となるには、それぞれがどれだけの税を負担すべきなのだろうか。これは多分に価値判断をともなう問題である。公共経済学では、たとえば所得が2倍違う時には、2倍以上の負担を求める累進的な税負担が公平の基本だと考えられてきた。

 

フラット化は、長年こうした税制の垂直的公正をないがしろにしてきた。すなわち、富裕層の税負担は、フラット化によって、以前に比べて著しく軽減されたからだ。新自由主義による経済政策の変更がこれを可能にした。そして、この政策では同時に、規制の開放が叫ばれ、大恐慌以来、実物経済の陰に追いやられていた金融経済が再び表舞台に舞い戻っている。

 『<税金逃れ>の衝撃 国家を蝕む脱法者たち』

 

参照:〈税金逃れ〉の衝撃!
富める者ほど払わない。そのツケ、払うのはあなたです
【前書き公開】深見浩一郎=著『〈税金逃れ〉の衝撃』