小林秀雄

神の眼には人間の魂は平等だ、という考えは思い附きでもなければ、ドグマでもない。恐らく人心の機微に関する正直な観察の極まるところに現れた発想だったであろう。人間の心ほど多様で複雑なものはない。誰が人の心の不思議を知り得ようか。自分の心さえ知らないのに。知っていると思っているのは、経験の足りない馬鹿者か、思い上がった悧巧者だけだ。そういう痛切な経験が、神や仏という言葉を発明したと考えるのに、何も難しい事はない。経験の機会は、少しも減らないのだから。人間の心は、到底人間の手に合う様な実在ではないという体験が、神という影を生んだとするなら、この影を消してみたら、人間の手に合う心しか残らなかったという事になる。心の全機能から、理性的機能だけが残された。この大割引された心は、仕方なく己れに象って新しい平等思想という影を生んだ。不手際な生み方である。

「感想」