斎藤環

さて、もう一度確認しよう。欲求は満足することができる。でも欲望は、決して満足しない。そして、人間の活動は、そのほとんどがこうした「満たされない欲望」の上に成立している。僕たちは自分の抱えた欲望をそのつどちょっとずつ満たしてやることで、最終解決は先送りしながら生きている。

もっと言えば、実は最終解決なんて、本当は存在しない。でもね、「欲望」ってある意味、すごく良くできたエンジンだと思うよ。「人間を動かす」って意味でね。だって、最終解決があるとわかったら、みんなそれにはじめから飛びつくに決まってるじゃない。でも、もしそんなことになったら、もう人間には進歩も成長もしなくなるだろう。僕とキミとでは欲望の形が違っていて、それぞれにその満足を懸命に追求しようとするからこそ、この社会もそれなりにうまく回っていくのかもね。

実はこういう欲望のメカニズムは、「資本主義」システムのそれとよく似ている。いろんな問題解決を先送りにしながら成立しているこのシステムは、その究極的な解消がありえないことが、システム成立のための重要なよりどころになっている。その意味では人間の欲望のあり方と、すごく似ているわけだ。もちろん「だから資本主義が一番すばらしい」とかいう、ベタな話じゃないけどね。

『生き延びるためのラカン』