ニーチェ

ある一人のひとだけを愛するというのは、野蛮な行為だ。他のすべての人々への愛を否定する愛だからだ。ただ一人の神への愛も同じようなものだ。

いたわるふりをして――人を殺す手を見たことのない人は、人生をきちんと見てこなかった人だ。

自分を軽蔑している人でも、自己軽蔑者としての自分を尊重しているものだ。

愛想の良さには、人間への憎悪はまったく含まれていない。しかしだからこそ、人間への軽蔑であふれているのだ。

道徳的な現象などというものは存在しない。あるのは現象の道徳的な解釈だけだ……。

自分の使命は信仰することではなく、観想することにあると感じている者にとっては、信仰をもつ者はあまりに騒がしく、厚かましい。だから彼らを近づけないようにする。

ある情動を克服しようとする意志も、一つまたは複数の他の情動の意志の現れにすぎない。

怪物と闘う者は、闘いながら自分が怪物になってしまわないようにするがよい。長いあいだ深淵を覗きこんでいると、深淵もまた君を覗きこむのだ。

個人の狂気はかなり稀なものである。――しかし集団、党派、民族、時代になると、狂っているのがつねなのだ。

「われわれにもっとも近い者は隣人ではない。隣人の隣人である」。民衆はみんなこう考える。

自分について多くを語るのは、自分を隠す手段でもある。

思い上がった善意というものは、悪意のようにみえるものだ。

箴言と間奏曲」/『善悪の彼岸』