坂野潤治

もし、歴史観というものが眼前の社会状況に強く影響されるものならば、そろそろ「階級史観」が復権してもいいのではなかろうか。今回、『〈階級〉の日本近代史』講談社選書メチエ)を書くにいたった動機である。
しかし、戦前戦後を通して日本の近代史研究を支配してきた「階級史観」には、「二段階革命論」という弱点があった。第一段階の革命は絶対王政を倒して資本主義体制を成立させる「ブルジョア革命」であり、その達成の上に、今度は資本主義体制を倒して社会主義社会を実現する「プロレタリア革命」が来る、と言うのである。
250年余にわたる幕府と諸藩の支配を倒した明治維新は、素直に考えれば立派な近代革命だった。しかし、その結果として現出したのは、天皇を官僚たちが補佐する統治機構を、農村地主がほとんど唯一の有権者となって支える体制であった。「ブルジョア革命」の結果天皇制が成立するのは変であり、「ブルジョア革命」の結果農村地主が新体制の支持基盤となるのも、奇妙な話である。
そこで、戦前戦後の「階級史観」は、明治維新を「革命」とは見做さないことに決め、天皇と官僚と農村の大地主による新体制こそが、「半封建的な絶対主義体制」であると判断した。その結果、250年余にわたる徳川幕府を倒し(1868年)、300弱に分かれて全国を支配していた大名制度を廃した(1871年)明治維新は、血湧き肉躍る「革命」ではなくなってしまったのである。

90年余にわたる戦前日本を天皇絶対主義の確立と展開という単線で描いたために、今日では「階級史観」を自称する歴史研究者は、ほとんど居なくなってしまった。しかし、明治維新を武士の革命、明治日本を農村地主の政治参加、大正デモクラシーを都市中間層の普選運動、戦前昭和を労働者と小作農の社会変革運動を軸に再構成すれば、そこには明らかに「階級」の変化とその影響とが見てとれる。近代日本は「士→農→商→工」の階級の変化を軸に、「階級史観」によって分析できるのであり、そのような日本近代史は、今日の格差社会に批判の矢を放てるのではなかろうか。

「階級史観」の復権---『〈階級〉の日本近代史 政治的平等と社会的不平等』著・坂野潤治