小林秀雄

人の有るが儘の心は、まことに脆弱なものであるという、疑いようのない事実の、しっかりした容認のないところに、正しい生活も正しい学問も成り立たぬという、彼〔宣長〕の固い信念、そこに大事がある。「うごくこゝろぞ 人のまごころ」と歌われているところは、動かなければ、心は心である事を止める、動かぬ心は「死物」であるという、きっぱりとした意味合なので、世に聖人と言われている人が、いかに巧みに「不動心」を説いてみせても、当人の「自慢ノ作リ事」を出られないのは、死物を以て、生物を解こうとする、或は解けるとする無理から来る。自分の学問では、死物は扱わない。扱うものは、人の生きた心だけである。従って、学問の努力の中心部では、生きた心が生きた心に直かに触れて、これを知るという事しか起らない。

『本居宣長』(下)