山本七平

徳川時代にすでに、経済的合理性なきものは存立しえないことは、多くの人にとって公理であった。いわば「資本の論理」を無視すれば、個人も商人も、藩も成立しないのである。
したがって、合理性の追求は「善」であった。梅岩にとっては、消費者のために徹底的な合理化を行なうのが「正直」であり、鷹山にとっても竹俣当綱にとっても、藩の経済的合理性を確立するためには、愛馬に人糞を積み、家老が鍬を握って泥田に入ることが「善」であった。ただしそれは、自己の利益追求すなわち「私欲」のためではなく、一(いつ)に藩という共同体のためであらねばならなかった。同じように、梅岩も私欲を禁じた。彼にとって、「商」という行為自体が、社会に奉仕し、かつ、それを行ないうる商家という共同体を確立し、それに属する人びとの生活を保障するための行為であった。
この原則は、藩という共同体を維持するためには、これが資本の論理に基づく機能集団に転じねばならぬという発想であり、同時に、商家という機能集団は、それが機能するためには、共同体と化されねばならないという考え方であった。
そして、この原則は明治にも、戦後にも生かされ、それが日本の「奇跡」といわれる発展を招来した。
同時に、各人の精神構造もこれに対応して機能しなければならない。「農業即仏行」であり、すべての事業は「皆仏行」であって、それ自体を行なうことに、「生きがい」すなわち宗教的な精神的充足を求めなばならない。その意味では、賤業といえるものはない。

『日本資本主義の精神』

 

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