今井むつみ

私たちの知性にとって重要な、ほぼあらゆる分野で、言語は、認知革命ともいえる認識の大きな変容をもとらす。モノの認識において、見た目の類似性による「同じ」という認識から、抽象的な関係に基づいた「同じ」という認識への移行をもたらす。数の認識において、「大体の量」から「正確な数」の概念へ移行させる。空間の認識において、絶対的な方角を基準にしたモノ同士の空間関係の認識から、自分、あるいは身近なモノ(あるいは人)を中心にした相対的な空間関係の認識への移行をもたらす。つまり、言語は、私たちが様々な視点からモノや出来事について語ることを可能にした。このような視点の多様化が柔軟な認識をもたらすのである。
動物と人間の知性の違いは甚だしく大きいが、それは単純に遺伝子の違い、脳の構造の違いにすべて起因するものではない。人間の認識の基礎になるほとんどの要素は、人間以外の動物にも共有されている。ことばを話す以前の人間の赤ちゃんの認識は、人間の大人よりも、動物のそれに近いといってよいかもしれない。人間以外の動物と人間の子どもの間で大きく異なるのは、持っている知識を使って、さらに学習していく学習能力なのだ。言語は、私たち人間に、伝達によってすでに存在する知識を次世代に伝えることを可能にした。しかし、それ以上に、教えられた知識を使うだけでなく、自分で知識を創り、それを足がかりにさらに知識を発展させていく道具を人間に与えたのだ。
ことばと認識の関係というと、違う言語の話者の認識が違うか否か、という点に興味が集まりがちだ。異なる言語が話者にどのよな認識の違いをもたらすかを知ることは、確かにとても大事なことだ。しかし、相対的にいって、言語を獲得した後の、異なる言語の話者の間の認識の違いより、言語を学習することによっておこる、子どもから大人への、革命といってよいほどの大きな認識と思考の変容こそが、ウォーフ仮説の真髄であると考えてもよいのではないだろうか。

『ことばと思考』(p.182-183)

 

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