斎藤環

私にはかねてから「社会の成熟度と個人の成熟度は反比例する」という持論がある。成熟社会においては個人のモラトリアム期間が著しく延長され、成熟度は必然的に低下する。経済的豊かさは「就労」や「家族」の生存上の必要性を緩和し、地縁や血縁の希薄化は個人が何かを犠牲にしてまで「関係」に接続する意義を失わせる。要するに「義理人情」の地盤沈下、である。言い換えるなら、近代化された成熟社会とは、ある種の(「すべての」ではない)未成熟さに対して寛容な社会のことである。だから未成熟な若者が増加したとしても、そのまま若者の不適応が増大するということにはならない。

『「負けた」教の信者たち』