ユクスキュル

最遠平面はさまざまな形で視空間を遮断するとはいえ、最遠平面というものはつねに存在する。それゆえわれわれは、草地にすんでいる甲虫であろうと、チョウやガ、ハエ、カ、トンボであろうと、われわれのまわりの自然に生息するあらゆる動物は、それぞれのまわりに、閉じたシャボン玉のようなものをもっていると想像していいだろう。そのシャボン玉は彼らの視空間を遮断し、主体の目に映るものすべてがそのなかに閉じ込められている。それぞれのシャボン玉は異なった場所に移ることができるとともに、それぞれには作用空間の方向平面が複数含まれていて、それらがその空間にしっかりした骨組を与えている。自在に飛びまわる鳥も、枝から枝へと走りまわるリスも、草地で草を食むウシもみな、空間を遮断するそれぞれのシャボン玉によって永遠に取り囲まれたままなのである。

みずからにこの事実をしっかり突きつけてみてはじめてわれわれは、われわれの世界にも一人一人を包みこんでいるシャボン玉があることを認識する。そうすると、わが隣人もみなシャボン玉につつまれているのが見えてくるだろう。それらのシャボン玉は主観的な知覚記号から作られるのだから、何の摩擦もなく接しあっている。主体から独立した空間というものはけっしてない。それにもかかわらず、すべてを包括する世界空間というフィクションにこだわるとすれば、それはただの言い古された譬え話を使ったほうが互いに話が通じやすいからにほかならない。

『生物から見た世界』

 

関連:http://hideasasu.hatenablog.com/entry/2015/05/14/214248